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【武英智×藤岡佑介】「こんなに上手いのに、なんで競馬勝てないんですか!」調教師転身のきっかけのひとつに佑介騎手の“涙の訴え”/第4回

  • 2024年05月22日(水) 18時01分
“with佑”

▲佑介騎手と武英智調教師の対談は第4回(撮影:桂伸也)


今年フェブラリーSや京都新聞杯を制したタッグのお二人。その出会いは佑介騎手のデビュー前まで遡り、「可愛いどんぐりみたい(笑)」だったと振り返ります。

師曰くジョッキー時代には大変苦悩した時期があったそうで、後輩の佑介騎手が「こんなに上手いのに...」と悔し涙を流したエピソードも。今回は武英師の過去と、“何をされても腹が立たない”ほどの関係性について、赤裸々に語っていただきました──。

前回はこちら▼
【武英智×藤岡佑介】「とにかく“愛”がすごい」厩舎が全力でバックアップする期待の若手騎手とは?/第3回

(取材・構成=不破由妃子)

「人生で唯一悩んだ時期でした」武英智師の騎手時代


──今回、初めて武英先生とお話させていただいたのですが、人間としても調教師としても本当に素敵な方で。武英さんは、ジョッキーの頃から今のような感じだったのですか?

佑介 そうです。ずっと変わらないです。正直、調教師になったら、もうちょっとシビアになるのかなと思っていたんですよ。仕事柄、どうしても物事を俯瞰で見る必要がありますからね。実際、馬のことに関してはそういう見方をしていると思うんですけど、ジョッキーの人選に関しては甘々ですね(笑)。

──甘々ではなく、人情派です(笑)!

佑介 そうですね。だいぶ人情派です(笑)。

武英 だって、みんなめっちゃ頑張ってるからね。もちろん、トップジョッキーが頑張っていないわけではないけど、でもやっぱりね、競馬の開催日もトレセンに調教にきてるなとか、火曜日も調教に出てきているなとか、レースでは乗れへん馬の調教も頑張ってるなとか…。そういう姿を見ていると、悔しいやろうなぁと思うんだよね。僕自身、ジョッキーのときは悔しい思いをしてきたから。

──ジョッキー時代には、指定難病であるサルコイドーシスを発症されて。大変なご苦労があったんでしょうね。

武英 そうですね、難病になって。それで今でも普段はずっとサングラスをしているんですけどね。ただ、それだけが原因で辞めたわけではないんですよ。僕は競馬サークルに親戚がたくさんいて、祖父が亡くなったときに一堂に会する機会があったんですけど、そのときに「お前、俺たちがいるんだから、フリーになれよ」みたいなことをみんなから言われたんですよね。

──ああ、乗せてやるからフリーになれと。

武英 そうです。フリーになって、年間50とか60とか勝てるジョッキーにならなアカンと。まだ20歳くらいでしたから、僕もその気になってしまって、そのあと師匠の領家先生に「フリーでやらせてください」と言いに行ったんです。今思うと、それがジョッキー人生の終わりの始まりだったんですけど…。先生は「なんでや」と言って、一度は止めてくれたんですけど、「自分でやってみたいんです」と言い張って。裏切る形になってしまってね。厩舎を飛び出すような感じでフリーになりました。

──その後、親戚の方たちは乗せてくれたんですか?

武英 それなりに助けてはくれましたが…。「毎日厩舎に顔を出せ」と言うから、毎日通っていたのですが、そのうち「今日は調教も乗らんでいいわ」とか言われるようになって。それが2年目の終わり頃だったかなぁ。もうジョッキーやりたくないな、馬に乗るのが嫌だなと思ってしまって、ちょっと腐っちゃったんですよね。

 本来はポジティヴな人間なんですけど、極度の人間不信に陥って、人生で唯一悩んだ時期でしたね。その後、心機一転、夏は北海道に行くようになって、関東の河野(通文)先生などに助けていただいたりしたんですけど、まぁ限界を感じるのも早くて。もともと自信がないまま乗っていたタイプでしたからね。そういえば佑介、俺が現役の頃、札幌のイタリアンで食事したときのこと覚えてる?

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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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