「
日本ダービー・G1」(28日、東京)
開業30年目、今度こそダービートレーナーの仲間入りがかなうのか。
藤沢和雄調教師(65)=美浦=は、これまで18頭を送り出し、02年
シンボリクリスエス、03年
ゼンノロブロイの2着が最高。JRA全国リーディング首位12回、JRA重賞100勝(うちG1・24勝)など輝かしい実績を誇る師も、まだ競馬の祭典を勝っていない。先週の
オークスを
ソウルスターリングで制した勢いで悲願Vを狙う。今回を含めダービーに挑戦できるのはあと5回。
レイデオロで挑む胸の内を聞いた。
(調教助手時代に、藤沢和師は
カツトップエース、
シンボリルドルフと2頭のダービー馬に間近で接した)
-当時ダービーというレースをどう見ていたのか。
「そんなに遠くはない印象を抱いていた。しかし、調教師になって、そこまで持っていくのは大変だと実感したね」
-調教師になって初挑戦は89年の
ロンドンボーイ(22着)。次は13年後の02年で
シンボリクリスエスが2着。あのダービーは大きな転換点になったと聞く。
「
武豊君で
青葉賞を楽勝したが、『秋になったら良くなります』と言った。「エッ?」と思ったよ。本番でユタカ君は
タニノギムレットで勝ち、クリスエスは完敗。彼は多くの有力候補に乗っていた。猫の額しか見ていない我々とは違う、王道を来た馬は強いと痛感させられた」
(実際、クリスエスは秋に
天皇賞・秋、
有馬記念を制し、2年連続で
年度代表馬に。
武豊の予言は的中した)
-翌年の
ゼンノロブロイも2着。その後この馬も4歳でチャンピオンになった。以降、クラシックにこだわらない調教師、というイメージが定着した。
「こだわらないというのではなく、クラシックは無理して狙ってもダメ。成長に合わせて仕上げる考え方は変わらない。クラシックを勝つチャンスとは、時期が来てそういう馬を預かればということだと思う」
-日本競馬はさまざまな面で進化した。
「牧場の施設、乗り手や装蹄師の技術、栄養管理、全てが進んだ。今はJRAに劣らないインドアの調教施設を持つ牧場もある。1歳の11月あたりから乗りだせば、健康な馬なら2歳の6、7月に競馬を使える。だから私も昨年、たまたま牡牝の2歳チャンピオンに恵まれた。別に先が短いから焦ったわけではないよ(笑)」
-調教師は以前にも増して、早い段階、特に3歳での結果を求められている。
「そうそう。厩舎に来てすぐ1F15秒程度を平気で走れる馬がたくさんいる。今は厩舎でイチから仕上げていく時代ではない」
-
レイデオロは久々の
皐月賞で5着。ダービーに期待が膨らむ内容だった。一番の長所は。
「母の
ラドラーダがとにかく利口だった。よく似ていて余計なことをしない。ガッツがあるしね」
-手応えは。
「
皐月賞は位置取りが後ろ過ぎたし、流れも向かなかった。クリストフ(ルメール)は1週前追い切りの後、『もうやらなくて大丈夫』と、いい感触を得たようだ」
-師にとってこのダービーの意味は。
「(15年前に)ユタカ君が言ったように、秋になってからの馬か、ここで確認できると思っているよ(笑)」
提供:デイリースポーツ