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14歳のセン馬ザタトリング、176戦目の引退レースを飾る

  • 2011年12月14日(水) 12時00分
 12月12日(月曜日)、イギリスのウォルヴァーハンプトン競馬場で、これが引退レースと決めて出走した馬が勝利を飾るという、絵に描いたようなハッピーエンドが展開された。しかも、現役生活の最後を自らの勝利で祝うという鮮やかな引き際を見せたのが、なんと14歳という高齢馬であったことから、競馬サークルを飛び越えた話題を呼ぶことになった。

 英雄譚の主役となった馬の名を、ザタトリング(セン14、父ペリジーノ)という。

 これを聞いて、「あの馬、まだ走っていたのか?!」と、驚かれる競馬ファンが少なくなかろうと思う。かつて若かりし頃、スプリント路線の最前線にあってG1にも顔を出していた馬だから、その名を御記憶の方が多くても不思議ではないのだ。

 1997年4月23日にアイルランドで生産されたザタトリング。日本で言えば、エアシャカールやアグネスフライトらと同世代となる。母アーンティアイリーンの14歳の時の産駒だが、兄、姉に目立った活躍馬はいない。ただし、8つ年上の兄アンビシャスヴェンチャーは下級条件ながら14勝もした馬だったし、6つ年上の姉ジャストドゥーイットジョーイも9勝を挙げていたから、長く丈夫に走れる血統であることは確かである。

 また、叔父にG1アベイユドロンシャン賞(芝1000m)2着馬ラグナビーチがいるから、豊かなスピードを供給出来る牝系でもあったし、祖母の兄弟にはG1キングジョージやG1エクリプスSを制したムトトがいるから、大仕事を成し遂げておかしくはない背景を持った馬とも言えそうだ。

 タタソールズ・アイルランドが主催するフェアリーハウス・セプテンバーセールに上場され、5万4千アイリッシュギニーで購買されたザタトリングは、マイケル・ベル厩舎の一員となり、1999年5月15日にニューマーケットのメイドン(芝6F)でデビューを迎えた。4戦目で初勝利を飾ったザタトリングはシーズン末までに9戦を消化。2歳最終戦となったアスコットのG3コーンウォーリスS(芝5F)では、2着に入る健闘を見せている。

 陣営がザタトリングの3歳緒戦に選んだのがニューマーケットのG3パレスハウスS(芝5F)であったり(結果は18着)、この年の6月にはロイヤスアスコットのG2キングズスタンドS(芝5F)に挑んだり(13着)したタトリングだったが、その後はしばらく、条件クラスの短距離戦を専門に走ることになった。

 4歳シーズン(2001年)半ばに、デヴィッド・ニコルス厩舎に転厩。2002年7月、カテリックのクレイミングで勝利を収めた際、調教師ミルトン・ブラッドリーに1万5千ポンドでクレームされ、馬主もブラッドリー師を含む複数のパートナーシップに変わった。

 ザタトリングが再び重賞戦線に顔を出すようになったのは、6歳シーズン(2003年)の後半からだ。サンダウンのLRサンダウンスプリントS(芝5F6y)1着、ニューバリーのLRハックウッドS(6F8y)3着と、準重賞での好走を2度続けた後、3年振りの重賞挑戦となったグッドウッドのG3キングジョージS(芝5F)で見事に重賞初制覇を飾ったのだ。続いてヨークのG1ナンソープS(芝5F)に駒を進めたザタトリングは、ここでも2着に健闘。ちなみにこのレースの勝ち馬は、現在種牡馬として大成功しているオアシスドリームであった。更にロンシャンのG1アベイユ賞(芝1000m)でも3着に好走した同馬は、年末になると香港に遠征してG1香港スプリント(芝1000m)にも挑んでいる。

 7歳シーズン(2004年)も、ロイヤルアスコットのG2キングズスタンドS(芝5F)を制し、G1ナンソープS(芝5F)やG1アベイユ賞(芝1000m)でも2着。

 8歳シーズン(2005年)も、ニューバリーのG3ワールドトロフィー(芝5F34y)に勝ち、ヨークのG1ナンソープS(芝5F)では3年連続で2着となるなど、ザタトリングは短距離路線のトップホースの1頭として活躍した。

 いささか成績に翳りが出て来たのが9歳シーズン(2006年)で、この年も重賞戦線を歩んだのだが、ロンシャンのG3サンジョルジュ賞(芝1000m)やグッドウッドのG3キングジョージS(芝5F)における4
着が最高着順で、この年は13戦して未勝利に終わった。

 10歳となった2007年は、ミューセルバーグの条件戦(芝5F)で勝ち星を挙げたものの、重賞ではG3サンダウンスプリント(芝5F6y)の4着が最高着順だった。

 11歳となった2008年以降は、再び条件戦を専門に走るようになったザタトリングだったが、この馬の凄いところは、この年齢になってなお、若かりし頃と全く変わらぬローテーションで走り続けたことだった。それどころか、芝平地シーズンがオフに入ると、オールウェザーの平地を走るようになったから、使われる回数はむしろ増えていったのである。

 11歳シーズン(2008年)の戦績、14戦2勝。これだけでも、月に一度を上回るペースで走っているわけで、ロートルには厳しい日程に見えたのに、12歳を迎えた2009年にはなんと、年間で28戦を消化。このうち3戦で勝利を収めるという、驚くべきローテーションをこなしているのである。

 13歳を迎えた2010年が、20戦0勝。

 そして、14歳を迎えた2011年も、1月7日にリングフィールドで行われたハンデ戦(AW5F)を皮切りに、ひた走りに走り、9月12日にブライトンで行われたハンデ戦(芝5F59y)まで、17戦を消化。6月30日にヤーモスで行われたハンデ戦(芝5F43y)では、9スートン10ポンド(約61.7キロ)というトップハンデを背負いながらも、ほぼ2年振りとなる勝利を収めたのだ。恐るべき14歳と言えよう。

 さすがに潮時と判断した馬主ダレン・ハドソン・ウッド氏と、調教師ミルトン・ブラッドリーが、ザタトリングの花道に選んだのが、12月12日にウォルヴァーハンプトン競馬場で行われたハンデ戦(AW5F20y)だったが、9ストーン7ポンド(約60.3キロ)のトップハンデを背負ったザタトリングは、残念ながら13頭立ての11番枠という不利な枠順を引き、ファンの支持は単勝17倍の10番人気という低いものだった。

 前半の位置取りはほぼ最後方だったザタトリング。直線入り口でもまだ中団より後ろという位置から、外に持ち出して追撃を開始し、残り50mあたりからG1路線で活躍していた頃を思い出させる桁違いの末脚を発揮。前を行く、11歳も年下のノヴァブリッジ(セン3)を最後の一完歩で交わし、短頭差の勝利を収めたのだ。

 通算176戦目にして18個目の白星を手にしたザタトリングに、全英中から祝福の喝采と拍手が送られることになった。

 走った競馬場の数、英国だけで31。騎乗した騎手の人数、37人。極めてユニークな記録を残し、ザタトリングは悠々自適の生活に入ることになった。

▼ 合田直弘氏の最新情報は、合田直弘Official Blog『International Racegoers' Club』でも展開中です。是非、ご覧ください。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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