スマートフォン版へ

ゲイリー・スティーヴンス騎手が現役復帰

  • 2013年01月09日(水) 12時00分
遅ればせではございますが、netkeiba.com愛好家のみなさまに謹んで新年のお慶びを申し上げます。海外の競馬にまつわる興味深い話題をわかりやすくお届け出来ますよう、さらに精進を重ねる所存です。本年も当コラムをご愛顧いただけますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
          
 年末年始もノンストップで動き続けた世界の競馬だが、ここ2週ほどの間に海外から飛びこんで来た大きなニュースの1つが、ゲイリー・スティーヴンス騎手の現役復帰だった。

 スティーヴンスは1963年3月6日生まれの49歳。父は調教師のロン・スティーヴンスで、兄が騎手のスコット・スティーヴンスという一家に生まれた彼は、8歳の頃から父の厩舎でグルームとして働きはじめ、14歳の頃からクオーターホースのレースで乗り始めたという、生粋のホースマンである。

 16歳になったばかりの79年4月にサラブレッド競馬の騎手としてデビュー。アイダホ州、ワシントン州といった北東部で実績を積んだ後、カリフォルニア州へ乗り込み、トップ騎手としてのキャリアを積み重ねて行った、86年にティファニーラスでケンタッキーオークスを制して初のメジャータイトルを獲得。2年後の88年にはウィニングカラーズでケンタッキーダービーを制覇。これを皮切りに、ダービー制覇3回、プリークネスS制覇2回、ベルモントS制覇3回を数えることになった。

 ブリーダーズC初制覇はインザウィングスで制した90年のターフで、ブリーダーズC通算で8勝をマーク。91年にはゴールデンフェザントでジャパンCに優勝、98年にはシルヴァーチャームでドバイワールドCに優勝と、海外でもその卓越した手腕を発揮している。

 こうした功績を讃えられ、97年に、史上2番目の若さとなる34歳で競馬の殿堂入り。自身2度目の全米騎手リーディング(賞金部門)となった98年には、悲願だったエクリプス賞騎手部門初授賞を果たすなど、北米騎手界のトップに君臨したのがゲイリー・スティーヴンスだった。

 03年に公開された映画「シービスケット」では、伝説の名騎手ジョージ・ウールフ役で出演。御覧になった競馬ファンも少なくないことと思う。

 90年代後半から膝に疾病を抱えるようになり、いく度となく手術を行うも完治せず、42歳となった05年11月に、通算4888勝という偉大な記録を残して現役を引退。以降は、テレビ番組で解説を行ったり、ジョッキーのエージェントをしたり、競走馬の育成を手掛けたりと、フィールドとしてはいずれも競馬業界の中ながら、プレッシャーから解放された自由な日々を過ごしていた。

 そのスティーヴンスが、7年振りの現役復帰を発表したのが、昨年の暮れも押し詰まった12月27日のことだった。

 育成に携わった時期もあったゆえ、引退後も競走馬に乗る機会は折りに触れてあったのだが、昨年からはワシントン州に拠点を移し、ペガサス・トレーニング&リハビリテーション・センターで連日調教に騎乗。追い切りもこなすようになって、本人の気持ちの中に「現役復帰」の気持ちが芽生えたようだ。

 昨年も後半に入ると、専属トレーナーを雇って肉体改造に取り組むとともに、栄養士とも契約してウェイトコントロールにも着手するなど、完全に「復帰モード」に突入。そうした様子がマスコミを通じてファンに間にも伝わっていた中、ついに「現役復帰」の正式表明があったのが12月27日だったのだ。

 カムバックの舞台となったのは、1月6日(日曜日)のサンタアニタだった。第6競走に組まれた芝1マイルのクレイミング競走で、ジム・ペニー厩舎のジブリカ(セン5)に騎乗。好スタートからそつのない騎乗を見せて、僅差の3着に入る競馬を見せた。

 次の騎乗馬は、11日(金曜日)にサンタアニタで行われる開催の第3競走に組まれた、3歳牝馬のためのメイドン戦における、R・マンデラ厩舎のレディーフォーハークロズアップ(牝3)になる予定だ。

 スティーヴンスは果たして、再びビッグレースで有力馬に騎乗するところまで返り咲けるかどうか、関係者やファンの大きな注目を集めることになったわけだが、競馬業界の中には、今回の復帰が極く短かい期間で終わることを危惧する声も少なくない。

 このゲイリー・スティーヴンスという男、実はかつて「前言撤回」を繰り返した前歴があるのだ。

 引退からの復帰も、これが初めてのことではない。「これ以上乗り続けたら、歩くことも出来なくなると言われた」と、ドクターストップを理由にスティーヴンスが1度目の現役引退を表明したのは、99年12月のことだった。ところが、ジョッキーのエージェントやトレーナーのアシスタントを務めた期間は10か月で終わり、スティーヴンスは00年秋に現役に戻っている。

 これ以外にも、「環境を変えたい」と言って東海岸へ移籍しながら、あっという間に西海岸に戻ってきたり、香港や欧州での騎乗をいずれも予定を切り上げて帰国したりと、良く言えば「臨機応変」、普通に言って「優柔不断」、悪く言えば「腰の座らぬ」行動を随所で見せてきたのだ。

 まもなく50歳になろうというスティーヴンスに、どんな近未来が待ち受けているか、けだし見ものである。

このコラムをお気に入り登録する

このコラムをお気に入り登録する

お気に入り登録済み

1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング