テイエムオペラオー、アドマイヤベガとともに「三強」として1999年のクラシック戦線をにぎわせたナリタトップロード。渡辺騎手にとって、デビュー6年目で訪れた名馬との出会いでした。三冠レースすべてで主役が入れ替わる白熱振りに、高まる周囲の期待と大きなプレッシャー。今だから語れる、当時の胸の内を明かします。(1/14公開Part2の続き)
東 :デビュー6年目で出会ったナリタトップロードは、後にGI勝利も叶えてくれる馬ですが、当時はどんな気持ちで乗られていましたか?
渡辺 :今考えると、最初のうちは大きなプレッシャーではなかったんです。良い馬だというのはもちろんわかっていたのですが、その当時は僕自身が重賞を勝ったことがなかったので、まさかGIまで獲らせてもらえるなんて想像もしていなかったですから。
東 :じゃああまり気負わずに、緩やかに乗れていたっていう。
渡辺 :そうですね。でも、レースに乗るにつれて「すごいな」と感じるようになって、それから力が入っていきましたね。
東 :皐月賞前のきさらぎ賞、弥生賞と重賞連勝ですもんね。きさらぎ賞が渡辺さんの重賞初勝利で、このあたりからすごく話題にもなって。
会心の勝利だった弥生賞
渡辺 :特に弥生賞は会心のレースだったんです。強い勝ち方をしたんですよね。そうすると、やはりその辺りから周りも騒がしくなっていきましたからね。だんだんと大きなプレッシャーになっていきました。
東 :プレッシャーが強まる中で迎えた皐月賞。1番人気が武豊騎手のアドマイヤベガ(6着)、2番人気がナリタトップロード(3着)で、勝ったのは和田竜二騎手の5番人気・テイエムオペラオーでした。
ナリタトップロードは皐月賞3着からいよいよダービーに挑むわけですが、注目なのが三強の人気。皐月賞を勝ったテイエムオペラオーは3番人気、2番人気がアドマイヤベガで、1番人気に推されたのがナリタトップロード。三強で1番人気ってなると、プレッシャーですよね。
渡辺 :そうですね。それも、ダービーの1番人気ですからね。朝からオッズはあまり見ないようにしていたんですが、まあ耳に入ってしまって…。「ああ、1番人気なんだな」って思いました。しかも僕自身、ダービー初騎乗でしたからね。
東 :初騎乗で1番人気のダービー…そのプレッシャーは計り知れないです。この頃、三強のジョッキーさん同士の関係ってどうだったのでしょうか? ライバル心はありましたか?
渡辺 :ん〜、僕は特別意識はしていなかったですね。きっと、わっくん(和田騎手)もそうだったと思うんですが、自分との戦いの方が大きかったです。他の馬のことはあまり気にしないように、自分の競馬ができればと思うようにしていました。
東 :和田騎手は当時を振り返って、「プレッシャーで廃人のようだった」っておっしゃっていたそうです。
渡辺 :あははは(笑)。当時はそんな風には見えなかったな〜。まあまあ、僕には見せないようにしていたのかもしれないですけどね。
正直「逃げ出したい」とも
東 :ライバルに弱いところは見せられないですもんね。デビュー6年目でそういう大舞台に立って、メンタル的なコントロールっていうのも。
渡辺 :GIで人気馬に乗るっていうのは初めての経験で、何も分からない状態でしたからね。メンタルのコントロールなんてしたことなかったですし、ただただプレッシャーに押しつぶされないように必死でした。正直、「逃げ出したい」って思うこともありましたね。
東 :やっぱり孤独というか、辛いんですね。そういうお気持ちは、ダービーの辺りがピークでしたか?
渡辺 :そうですね。皐月賞で惨敗して、また違った声が聞こえてきましたし。それこそ「乗り役のせいだ」ということも言われました。そこからのダービー1番人気でしたので、やはりダービーの時がピークでしたね。
東 :「ダービー」っていう舞台も、そうさせますよね。
渡辺 :「ダービーだけは空気が違う」って聞いていて、僕自身は「そんなに変わらないやろ」という気持ちだったんですけど、実際にその日になってみたら朝から空気がピリッとしていて…全然違いました。
東 :その緊張のレースですが、道中はテイエムオペラオーを近くに見る形で進めていって、直線でテイエムオペラオーとナリタトップロードの2頭が抜け出しました。脚色の良いナリタトップロードが振り切ってそのまま勝ちきるか、という時に…
ダービー、白熱のゴール前
渡辺 :そう…、あれは勝ったと思いました。
東 :そうですよね。外から来た武豊騎手のアドマイヤベガが、まとめてかわし去って行きました。
※当時、武豊騎手はデビュー13年目。前年のスペシャルウィークに続き史上初のダービー連覇を達成。
渡辺 :ダービーの時は、(武)豊さんが鬼に見えました(笑)。僕もわっくんも若かったですし、2人でゴール前熱くなっていたところをサッと持っていかれたという。ベテランの技ですね。
東 :見せつけられてしまいましたね。レースが終わってみて、皐月賞を逃してダービーを逃してとなると、また押しつぶされそうな気持ちになりますよね。
渡辺 :菊花賞前の京都新聞杯が、1番人気で2着に負けてしまったんです。でも、逆に負けたことで吹っ切れたところもあったんです。そこで勝っていたら、菊花賞でまたすごくプレッシャーを感じていたかもしれないですけど、2着に敗れたことで「この競馬じゃダメだ」ということも分かりましたし、開き直れたところもあって、思ったより気が楽に乗れたところはありましたね。
東 :そうだったんですか。その菊花賞、それまでの皐月賞、ダービーとは違って、好位のポジションをとりました。そのまま直線で抜け出して、ゴール前はテイエムオペラオーの強襲を凌いで勝利。ゴールでは力のこもったガッツポーズも見せましたね。
渡辺 :はい。あの勝利はもう、忘れられないですね。
東 :最後の一冠を獲ったっていうところも。
渡辺 :そうですね。スタンドから「ワタナベコール」をしていただいて…。「あの感動をもう一度」と思って、今まで乗り続けてきたのはあったんですけどね。
東 :ナリタトップロードとのコンビは、戦歴を見てもすごいですね。30戦して25戦でコンビ。思い出のレースはありますか?
「トップロードはすごい馬」
渡辺 :2001年の阪神大賞典です。内容も良くて、強い勝ち方でしたので。その前の2戦が乗り替わりになっていましたからね。でも、結果を出せなかったんですから、仕方ないんですけどね。先生も、外野の声と戦ってくださったと思います。だからその阪神大賞典を勝てたのが、本当に気持ち良かったですね。
東 :またコンビを組んで勝てたというのは、大きい収穫でしたよね。
渡辺 :大きかったですし、改めて「すごい馬だな」って感じましたよね。
東 :これだけ一緒に過ごしてきたら、最後に引退となると、すごくさみしいですね。
※2002年有馬記念を最後に引退。30戦8勝、うち重賞7勝。
渡辺 :そうですね。まあでも、「無事に引退させてあげられた」という気持ちもありましたからね。ただ、正直なところ、もっと自分に技術があったら、もう少し良い思いをさせてあげられたのになっていうのは思っています。でも、あれだけ大きな舞台で戦わせてもらって、メンタル的なプレッシャーも受けながら成長させてもらって、この馬に学ばせてもらったことはかなり大きいですね。(Part4へ続く)
◆次回予告
次回は渡辺薫彦元騎手インタビューの最終回。19年の騎手人生。GIタイトルも手にしたその年月を振り返って、「甘かったかな」と漏らした渡辺元騎手。引退前に競馬学校の教官からもダメ出しされたとか。今だから語れる本音と、将来への決意を明かします。公開は1/28(月)12時、ご期待ください!
◆渡辺薫彦
1975年4月5日生まれ、滋賀県出身。1994年に栗東・沖芳夫厩舎所属で騎手デビュー。父は同厩舎の厩務員。同期は幸英明、吉田豊ら。1999年、きさらぎ賞を自厩舎のナリタトップロードで制し、重賞初勝利。以降同馬とのコンビで活躍し、同年の菊花賞を勝利。人馬共に初GI制覇を遂げた。2012年12月20日付けで騎手を引退。JRA通算成績は7262戦339勝、うち重賞10勝。引退後は同厩舎の調教助手となり、調教師を目指す。