宝塚記念1週前の追い切り後に肺出血を起こし、無念の回避となったオルフェーヴル。現役最強馬を襲った「肺出血」とは? 今後の競走能力に支障はないのか? 知っているようで、実は知らない“競走馬の疑問”を解決すべく、JRAの競走馬総合研究所(宇都宮の本所)に潜入。高橋敏之主任研究役に、目からうろこの新事実をたくさん教えていただきました!
宇都宮にあるJRA競走馬総合研究所
赤見 :「JRA競走馬総合研究所」の研究機関としては、高橋さんが所属されている「運動科学研究室」と「臨床医学研究室」に分かれているということですが、具体的にどんなことをされているのですか?
高橋 :私が所属している「運動科学研究室」は“馬はなぜ速く走れるのか”“馬の体の中身がどうなっているのか”というのを研究する部門になります。
例えば、酸素をどれだけ取り込むかという数値がありまして、スタミナの指標になるんですが、普通の人だと30〜40ml/kg/min、マラソン選手だと80ml/kg/minくらいなんです。これが馬だと130ml/kg/minくらい、鍛えると190ml/kg/minくらいになります。馬は非常にスタミナに優れているというのが、指標から分かります。
赤見 :そういう数値から馬の能力を解明していく。
高橋 :そうですね。筋肉を測ったり、体の中の酵素がどれだけ活発に動いているか、遺伝子がどれだけ体の中で役割を果たしているか、あとは競馬や追い切りなど強い運動を行った時に筋肉の中で乳酸が作られて血液中に出て来るんですが、その時の通路になるタンパク質の量を測ったりということをして、「どういうトレーニングをするとどういうところが鍛えられるのか」「どういうトレーニングをすると馬は速く走れるのか」というのを研究しています。
赤見 :そういうところから、トレーニング方法を確立していくんですね。もうひとつが医療的な分野?
高橋 :はい。それが「臨床医学研究室」になりまして、今ですと腱の再生医療、細胞の元になる幹細胞を取って損傷した屈腱に植えて良くなるかどうかという研究をしています。
赤見 :トレセンとは役割が全く違って、どんどん新しいことを研究していくんですね。
高橋 :トレセンは臨床応用なので、手術の新しいやり方など技術導入を研究所で行って、効果がありそうならばトレセンで応用してということになります。
運動科学研究室・高橋敏之主任研究役
赤見 :高橋さんが研究されている運動科学は、どうやって現場で取り入れられているんですか?
高橋 :トレセンなどでセミナーを開いて、調教師さんや調教助手さんにお伝えしています。あとは実際にデータを取らせていただいて、調教師さんに「この馬はこういう結果ですよ」というのをお返ししたりすることが多いですね
例えば、大きいエンジンを積んだ車は、あまり回転数を上げなくてもスピードが出るように、馬も心臓が鍛えられてスタミナがつくと、少ない心拍数で同じスピードが出るようになります。1分間の心拍数が170回でハロン20秒で走れるとして、もっと鍛えると150回で同じ20秒で走れるようになるとかが分かるので、そういうデータをお伝えしたりしています。
赤見 :高橋さんはこの研究所にどれくらいいらっしゃるんですか?
高橋 :私はここに15年いまして長いんですけど、その前は獣医として美浦と栗東のトレセンに合わせて5年いました。今でも、競馬開催の日は競馬場に行っています。
赤見 :えっ? 競馬場にも行かれるんですか!?
高橋 :はい。「事故馬救護」と言いまして救急車の中に入ったり、「厩舎監視」と言ってドーピングをしないように厩舎を回ったり、あとはドーピング検査で必要な書類を作成したりします。
赤見 :研究以外でもいろんなことをされているんですね。
さて、今日は、意外と知らない“競走馬”について教えていただきたいと思っています。先日、オルフェーヴルが「肺出血」によって宝塚記念を回避しました。秋には凱旋門賞を目指していましたし、ファンの方の間でも衝撃が走ったと思いますが、そもそも「肺出血」とはどういうものなのですか? 「鼻出血」との違いというのは?
高橋 :「鼻出血」も「肺出血」も、肺からの出血です。血が鼻から出ているか、その前でとどまっているかという違いですね。今回オルフェーヴルを直接診たわけではないですが、内視鏡で見て肺に出血があったということで、そのように鼻まで出て来ていないというのは、症状としてはひどくないことが多いです。
赤見 :人間の感覚で言うと「肺出血」って聞いた方がひどい気がしますが、鼻出血の方がひどいんですね。人間の鼻血とはまるで違いますね。
高橋 :違いますね。血が出るところが違いますのでね。
赤見 :オルフェーヴルの陣営は、よく気がつかれましたよね。池添ジョッキーがまたがって追い切りをした後に、息が悪いというので調べたそうですが、やっぱり肺出血を起こしている時って、そういうふうになるものなんですか?
高橋 :よっぽどひどくない限りは、分からないことが多いんです。皆さん、鼻からの血を見て気がつくことが多いですから。今回は「なんかおかしい」と思われたところがあって、調べられたんだと思います。
赤見 :内視鏡で見たということですが、どこから見るんですか?
高橋 :鼻の穴から入れます。人間でも、鼻から入れる内視鏡がありますよね。あれと同じように鼻から入れて、喉を通って肺につながる気管を検査します。
赤見 :「肺出血」のメカニズムとしては、どういうものなんですか?
高橋 :血圧が上がって、肺の毛細血管の一部が破れるというものです。肺から心臓に血が戻って行って、また送り出さないといけないのですが、そこが渋滞のようになって、血圧が上がって毛細血管が破れてしまうと言われていますね。
赤見 :原因としては運動ですか?
高橋 :そうですね。正式には「運動性肺出血(EIPH)」と言います。実は、激しい運動をすると、極めて程度の軽いものから含めたら、大多数の馬が肺出血をしています。詳しく調べると肺からの出血というか、赤血球が肺の中に出て来ているのが分かります。なので強い運動をした後は、程度の差こそあれ、ほぼ100%でそういう症状が出るんです。
赤見 :そうなんですか!? じゃあ、何も珍しいことではない。
高橋 :はい。程度の問題になりますね。
赤見 :程度というのは、どうやって判断するんですか?
高橋 :肺炎でひどい時の治療などで「肺を洗う」という方法があるのですが、「どれだけ洗ったら、赤血球がどれだけあった」というのを見るんです。ただ、ルール上は「鼻から出ているか出ていないか」ということで判断しますね。競馬の後に鼻から出ていると、出走制限がかかります。
※出走制限
競走中に鼻出血(外傷性のものを除く)を発症した馬は、当該競走の施行日の翌日から起算して発症1回目は1か月間、2回目は2か月間、3回目以上は3か月間それぞれ出走できない。
赤見 :出走制限はなんで設けているんですか?
高橋 :鼻から出る程ということは、肺の毛細血管が破れていてその周りにも血が行っているので、炎症も起きているだろうから、競走能力に影響が出ないように、十分に休ませて回復させてから出て下さいということです。
赤見 :発症1回目で1か月ですよね。それぐらいの期間で治まるんですか?
高橋 :はい。肺炎とかではないので、ちゃんと休養させれば自然と治ります。
赤見 :すごく気になるのが、「一度なると繰り返す」と言われますが、それは本当ですか?
高橋 :繰り返す馬は、ですね。以前に調査したところ、率としては高くないです。競馬で鼻出血を起こす馬は全出走馬の0.15%、1開催で1頭から2頭なんです。再発率はそのうちの12.3%。約10%程度なので、それほど高くはないですね。
赤見 :そうなんですか。今回のオルフェーヴルの場合ですが、内視鏡で見えた程度ということなので、症状としては。
高橋 :それほどひどくはないんじゃないかと思いますね。
赤見 :ルール上では、宝塚記念に出られなかったわけではないですよね。念には念を入れての回避だったとなると、このまま現役を続けても問題はないですか?
高橋 :そうですね。再発率は10%ぐらいですし、何回も繰り返さなければ特に問題はないです。
赤見 :しばらく安静にして治せば、競走能力が下がるということもないですか?
高橋 :ないと思います。
赤見 :じゃあ、引き続き凱旋門賞を目指していけますか?
高橋 :はい。程度が軽いものならば大丈夫だと思います。
赤見 :それを聞いて、安心しました!
高橋 :先ほどお話したように、激しい運動をすると、程度の差こそあれ少しは出血するものなので、そんなに大変なものではないです。今回は、それが少し多かったので内視鏡で見えるくらいでしたが、ある程度お休みをして出血部位が治ったらこれまで通りになるというのが、この「肺出血」「鼻出血」の特徴ですね。
赤見 :アメリカだと鼻出血を抑えるような薬が認められていて、それが日本やヨーロッパでは認めてられていないというのはなぜなんですか?
高橋 :ラシックスという薬ですね。あれは肺出血自体を抑える薬ではなくて、利尿剤なんです。おしっこがいっぱい出て水分が減るのですが、一緒に血液の量も減るので、血圧が下がって鼻出血のリスクが下がるんじゃないかと言われています。ただ、直接は肺の健康を保つようなものではありません。考え方にもよりますが、あんまり積極的には使いたくないなということですね。
赤見 :だから多くの国が禁止薬物にしているんですね。あの、ジョッキー時代に、「レースで鼻血が出たらすぐ止めろ」というふうに教わったんですが、例えばレース中に鼻出血を起こして、それに気がつかないで走らせ続けたとしたら、馬はどうなりますか?
高橋 :血の量にもよるんですが、ジョッキーが分かる程度だと非常に出ていますよね。肺の中にある程度の血が入っても、それほど競走能力は落ちないとの実験成績もあるにはあるのですが、さすがに血だらけになっていたら止めた方が良いと思います。でも、気がつかずにいたからといって、大事になるということはないと思います。
赤見 :そうなんですか。「馬は鼻でしか息ができないから、呼吸ができなくなってひっくり返っちゃうので早く止めろ」と言われていたんですが、ちょっと都市伝説のような…?
高橋 :ええ。ただ、ひどい場合には心房細動も起こしていることがあるんです。鼻出血と心房細動の両方だと、走っていたらすごく後方に行ってしまうので、それは止めた方がいいと思います。
赤見 :心房細動は、メカニズム的にはどうなっているんですか?
高橋 :心臓は上の心房が収縮して、下の心室も連動して収縮するメカニズムになっています。本来なら「心房が動いたよ」という信号が行って心室が動いて、1回動いたら次の信号が来ないようになっているんですけど、その巡りが悪くて上と下の動きがバラバラになってしまうというものです。
そうすると、血の巡りが悪くなって競走能力が落ちると言われています。生理的な原因については分からないのですが、人間の心筋梗塞みたいな原因があるわけではないですね。
赤見 :どうやって治すんですか?
高橋 :大体は様子を見ます。すぐに治る場合もありますし、1日くらい置いておけば大抵は治ります。それでも治らない場合は、心臓の薬を使って元に戻しますね。
赤見 :レース中に心房細動を起こすと、すごい大差になって成績欄でも目立つじゃないですか。でも、治っていれば特に心配はないということですか?
高橋 :何回も起こすようなら心臓に問題がある場合もあるのですが、率としては非常に低いですので、問題ないことが多いですね。
赤見 :こうやって解明して行くと、意外と思い込みが多かったのがよく分かりますね。(Part2へ続く)
◆次回予告
競走馬につきものの「骨折」。5月29日、GI馬のジョワドヴィーヴルが、翌日30日にはフィフスペトルが、いずれも調教中の骨折により安楽死となった。なぜ競走馬は、「骨折」によって命を奪われなければいけないのか。治せるものとそうでない場合の判断基準は何なのか。次回はこの問題に迫ります。公開は7/15(月)12時、お見逃しなく。