▲クラブトップインタビュー、初回は「シルク」阿部幸也氏
この夏、PC版netkeibaでは、新たに『一口馬主向けサービス』が始まります(スマホ版は今年秋にサービス開始予定)。そのリリースを記念して、人気一口クラブの代表者を直撃。各クラブの特色や戦略、ならではの魅力に迫っていきます。最初にお話を伺うのは、シルク・ホースクラブの代表・阿部幸也氏。ノーザンファームとの提携を実現させ、会員の実入りにつながるような改革を次々と敢行。苦難の時代を乗越え、今やリーディング上位の馬主となるまでに。大注目の“アベノシルク”、その全容とは。
(取材・文:不破由妃子)
早田牧場との提携から、クラブ運営を開始
──昨年は、クラブ創設史上最多となる年間重賞5勝、勝ち星も78勝と飛躍的に成績が向上された1年でした。今年も現時点(7月26日終了現在)で38勝をマークして(クラブランキング)4位。ますますシルク・ホースクラブ(馬主登録名はシルクレーシング)さんへの注目度が高まっています。
阿部 おかげさまで、順調に勝ち星は伸びています。シルクの設立が85年ですから、ちょうど30年。以前は年間4位以内に入れるなんて思ってもいませんでした。
──社長に就任されたのが2003年。それ以前は、広告やイベントの企画運営といったお仕事をされていたそうですね。
阿部 はい。その中でシルクにも、一業者の一社員として、募集馬ビデオや会報を作ったりしていました。会報に掲載されていた調教師やジョッキーのインタビューも、当時は取材から執筆まで僕がやっていたんですよ。そうは言っても、当時のシルクの代表の息子というのはバレていましたが。
──“シルク”という冠名は、ご実家の家業が由来だそうですね。
阿部 そうです。福島で製糸業(阿部製糸株式会社)を営んでおりまして、それで“シルク”に。もともとは父や叔父たちが馬主をやっていたのが始まりだったんですが、叔父の一人が早田家(早田牧場)の主治医だったんです。そういったお付き合いのなかで、早田牧場が北海道に進出することになり、阿部家として応援させてもらったわけです。それで早田牧場の生産馬を中心に、クラブの運営が始まったんです。
──その早田牧場は、社長が代表に就任される前年の2002年に、裁判所から破産宣告を受けて。大変な時期にクラブを引き継がれたんですね。
阿部 最初は本当に大変でした。会員さんと馬はいるけど、この先どうやって運営していったらいいのか…という状態でね。その一方で、