きわめて特殊な流れの中山1200m
混戦がささやかれた今年、展開されたのはきわめて特殊な流れの中山1200mだった。
中山1200mは前半が下り坂のほぼ直線に近いため、前傾ラップがくずれることはない。まったく行く馬のいない、非常にレベルの低い下級条件で何年かに1-2回出現するくらいである。
ところが、前半3ハロンのダッシュ記録「32秒5」を持つ
ハクサンムーンが「なにがあっても行く」と宣言していた今年、たしかにハクサンムーンは少し出負けしながら一気に先手を奪ったが、刻まれた前半の600mは「34秒1」。後半が「34秒0」。合わせて1分08秒1だった。
スプリンターズSがG1になった1990年以降、中山で行われた24回のうち、前半3ハロンがもっとも遅かったのは、不良馬場で全体時計が1分09秒9に落ち込んだカルストンライトオの年の「33秒6」と、珍しく緩い流れでスリープレスナイトが勝った08年の「33秒6」。この2回の33秒6であり、前半3ハロン「32秒台」が過半数を占めている。
後半3ハロンより前半3ハロンのほうが遅かったのは、G1のスプリンターズS史上はじめてのことである(おそらく格付け以前にもないはずである)。歴史的なスローだった。
なぜこんな特殊なペースが出現し、時計勝負ではない中、長距離戦ならともかく、頂点のスプリントレースが前週や、同日の条件戦より遅い時計の決着になってしまったのか。
なにがなんでも行くと宣言したハクサンムーンが出負けしながら猛然とハナに立った。
アクティブミノルが譲り、好スタートのミッキーアイルも下げた。ところが、ハクサンムーンは3ハロン目にG1ではありえない突然ペースダウンの「11秒7」。ふつうなら「10秒台」の地点で極端にラップを落としたから、先行グループの騎手のスピード感覚は完全にマヒしてしまっていた。人気の
ミッキーアイルも、アクティブミノルも、突然の未勝利戦以下のペースなのに手綱を絞ってスピードを落とそうとしている。どこかに錯覚が生じたのだろう。
前半3ハロン34秒1ではあまりにも遅すぎて、ハクサンムーンも、アクティブミノルも先行のアドバンテージが生じるどころか、スプリンターズSに出走して、スピードをセーヴしてみせただけである。12着と、9着だった。たまたまハクサンムーンの100-200m地点の行き方が錯覚をもたらしたと思われるが、先行しての粘りに期待したファンは、非常にせつない。
ミッキーアイルは先行して抜け出して粘ると期待された人気馬。懸命に前半なだめた同馬の1200mの記録は「34秒5-33秒8」=1分8秒3となった。
ありえないハクサンムーンのペースダウンにかかり通しのロスがありながら、前の2頭よりは高い能力があるから、一応は競馬をした形にはなったが、浜中騎手は納得できないだろう。スピード能力に期待したファンもまた、納得できない。ペースが異常なほど落ちた瞬間、一転、自分でレースを主導できるのは、その夜に流れた凱旋門賞のL.デットーリ騎手クラスの力量と、どう乗っても許される立場を得ていなければ不可能だが、浜中騎手なら、今回のミッキーアイルが「34秒5-33秒8」の中身で、あまりに凡庸な1分08秒3止まりの4着に沈んだ物足りなさの原因は解明できるはずである。ミッキーアイルは、少なくともここまでの内容から、折り合って控えても使える脚は限界があるのではないだろうか。タメても勝った
ストレイトガールや、突っ込んできた
ウキヨノカゼとはタイプが違い、爆発力で勝負する馬ではない。実際、流れも距離をも問わず、ここまで12戦の上がり3ハロン最高が「33秒9」の実に粘り強いスピード型である。母の父ロックオブジブラルタルの特徴そのものではないかと賞賛する人びとも多い。一考の余地ありだろう。
1200mでも行きたがる気性が前面に出てしまったから大変だが、おそらく自分がハナに立ってしまえば、さすがにかからないだろう。ハナに立ってレースを進めるのは、別に逃げるわけではない。ミッキーアイル級になれば、勝つために自ら主導権をにぎるのである。サイレンススズカを「逃げ馬」と形容するのは正しくないのと同じである。サイレンススズカも、武豊も、1度も逃げまわったりした事実はない。ほかより前に進んで勝っただけである。
先行勢が妙なペースを作ってしまったため、後続は追い込むというより、襲いかかるように加速すればいい流れになった。ストレイトガールはさすが、もっと苦しい東京1600mのヴィクトリアマイルを制した総合力があった。決してスムーズに内が空いていたわけでもない。戸崎騎手のコース取りも見事だった。あと1戦、香港の予定とされるが、ロードカナロアの再現も夢ではない。
サクラゴスペルも、途中からスパートすればいい流れが合っていた。寸前に切れ負けしたが、早めに好位にとりつき、持ち味を最大限に発揮したと思える。
ウキヨノカゼも素晴らしい切れ味だった。スローを察知し早め早めにスパートして、残した記録は「35秒5-32秒8」=1分08秒3。この前後半の差は、ミニ・デュランダルである。
人気で意外な凡走に終わった
ベルカントは、ハードトレーニングへの変更で開花したが、たまたま今回は体調と一致しなかったのだろう。レース前から気負いが目立ち、先行はしたものの武豊騎手が制御不可能にみえるほどイレてしまっていた。