▲オルフェーヴルの帯同馬としてフォワ賞、凱旋門賞に出走したアヴェンティーノ
「ああ、ここ俺の家だ」
茨城県つくばみらい市にある柏乗馬クラブに、2012年にあのオルフェーヴルの帯同馬としてフランスに渡り、フォワ賞(GII・5着)、凱旋門賞(GI・17着)にも出走したアヴェンティーノ(セン12)が暮らしている。
柏乗馬クラブは、その名の通り、以前は千葉県の柏市にあった。当クラブの会長山蔦紘三郎さんは、秋田県の角館高校馬術部の創部メンバーであり、その後、皇居内にかつてあった由緒正しいパレス乗馬倶楽部での勤務を経て、26歳の若さで柏乗馬クラブを創業した。つくばみらい市に移ってきても「柏乗馬クラブ」という馴染みあるこの名称を引き続き使用している。
「自然豊かで空気のきれいなこの場所に移ってきてから、疝痛などトラブルが少なくなりましたね」と話すのは、社長で紘三郎さんのご子息でもある山蔦幸太郎さんだ。風が通り抜けていくように厩舎を設計し、馬の脚に負担がかからないように、馬場状態にも常に気を配っている。31頭いる馬たちに目が行き届くよう、厩舎作業を専門に行うグルームも雇い、きめ細やかな管理もなされている。
▲緑に囲まれた柏乗馬クラブ
▲馬場の外周を歩けば、ちょっとした外乗気分を味わえる
さらには馬たちが毎日出してくれるボロ(馬糞)を肥料として、お米、じゃがいも、にんにく、山わさびなど、農作物も生産。馬関係の知人を通じて、柏乗馬クラブ製造の「山わさびのしょうゆ漬け」を食する機会があったのだが、これがもう絶品で、ご飯が何杯でもいけそうなほどだった。
「ウチには年を取ったり、ケガで乗れなくなっている馬が何頭かいるのですけど、練習馬でずっと頑張ってくれていましたし、ボロを出して堆肥さえ作ってくれれば、あとは僕が野菜を作るからと(笑)。食べては寝て食べては寝てで構わないと思っているんです。1頭でも多く、なるべく最期を看取ってあげたいんですよね」
幸太郎さんの一言、一言から、馬への感謝と深い愛情が伝わってきた。
▲クラブで暮らすマイネルプリンス(セン17) コスモバルクの半兄でここではプリンスの名前で活躍
フランスから帰国したアヴェンティーノは、千葉県白井市のJRA競馬学校での検疫が明けると、オーナーサイドの希望もあり、ここ柏乗馬クラブに直接やって来た。
「気性は大人しいと聞いていましたけど、最初見た時は可愛らしかったですよ(笑)。馬運車を大人しく降りてきて、ああ、ここ俺の家だという顔をしていました(笑)。まあこちらがそう思っているからなのかもしれませんけど、俺の家に帰ってきたくらいの感じで、とても良いお顔をしていました(笑)」(幸太郎さん)
アヴェンティーノがいたからこそ、オルフェーヴルはフランス遠征を無事終えることができたとも聞いている。大人しく賢いアヴェンティーノは、自分の競走馬としての役目は終わり、これからはここで過ごすのだと馬運車を降りた瞬間に悟ったのかもしれない。
「1回乗ったら、絶対みんな好きになっちゃいます」
乗馬として第二の馬生を歩むために、まずは去勢手術が行われた。
「大人しいとはいえ、何かアクシデントがあってはいけませんからね」と幸太郎さん。そしていよいよ乗馬としての調教が開始された。柏乗馬クラブでは、競走馬から乗用馬への転用におよそ2年の歳月をかけてじっくりと調教が施される。
「年齢的なものがあって体の硬さはありましたが、調教の進み具合としてはとてもうまくいっている方ですね。新卒のスタッフに初めから任せて、もちろん会長やインストラクターの川添(千文さん)、僕の指導を仰ぎながら乗馬として作っていきました」(幸太郎さん)
2年間の転用期間を経て、昨年から会員を背にレッスンにも出るようになった。
「会員さんの中に競馬ファンの方がいらっしゃいまして、アヴェンティーノが来た瞬間にキャーッと嬌声を上げていました(笑)。それでその方にまず乗って頂きました。常歩だけでしたが、跨れるだけで嬉しいと喜んで頂きました。そこから今は普通に会員さんが競技会にも出られるように、馬も人も調教しながらという形でやっていますが、物見をしないので、どこの試合会場に行っても大人しくしてくれて、しかもそれなりの成績を収めてくれるんです」(幸太郎さん)
▲柏乗馬クラブの山蔦幸太郎社長とアヴェンティーノ
この物見をしないという落ち着いた性格も、繊細かつ気性の激しいオルフェーヴルの帯同馬として選ばれた理由の1つだったのだろう。
「勝ち負けも大切なのですが、競技会でちゃんとできた!無事に終わった!という経験を積んでいかないと、馬も人も成長していかないと思うんですよね。まずは安心して会員さんが馬場馬術のL1課目、L2課目(馬場馬術は細かくクラス分けされており、A課目は初級者向け、L、M、S課目はセントジョージ賞典課目へのステップとなっている)とこなしていけるようにと考えています。現在も調教途中でもありますし、まだ踏歩変換(とうほへんかん:フライングチェンジとも言われ、駈歩を継続したまま手前を替えること)は教えてはいません。
あまり急がせないように心がけていますけど、馬の年齢もありますし、あとは調教をやっていく過程でタイミングを見ながら、できる時には踏歩変換なども仕込んでいくことになるでしょう。ただ基礎的なことができないとどうにもなりませんから、基礎体力をまずつけてあげるのがまず大切なのかなと思います。あとは関東地域指導者競技会のL1課目で初出場の昨年は3位、今年は2位に入ったので、来年は1位になれるはず…と思っています(笑)」
幸太郎さんは、笑顔で今後の見通しを語った。
アヴェンティーノは、中上級者向けの練習馬として会員さんの評判もすこぶる良い。女性会員の1人が「素晴らしい馬です。すごい真面目なんです。私が馬なら適当に怠けると思うんですけど、手を抜かないんです。すごい子なんです。1回乗ったら、絶対みんな好きになっちゃいます」と褒めちぎれば
「本当に愛される馬ですよね。しっかりやってくれますから。あまりに手を抜かないので、こちらが心配になっちゃうくらい。ここまで面倒見てきて、ああオルフェーヴルの帯同馬として選ばれたのはこういう性格だからなんだろうなとわかるような気がします」と、幸太郎さんも続けた。
柏乗馬クラブでは、練習馬としてレッスンに出るのは1日ほぼ1鞍と決まっている。1鞍1鞍手を抜かずに真面目にこなすアヴェンティーノにとっては、オンとオフがはっきりしているそのシステムが、とても合っているといえそうだ。
そして「お客様が安全に安心して乗れて、かつ勉強ができる馬というのは、なかなかいないですから、何物にも代えがたいですね」と、アヴェンティーノの存在が柏乗馬クラブにとって、いかに大切かを語った。
「先程も言ったように生真面目なところがあるので、程よく気を抜いてあげなければならないですけど、そこはグルームがうまく息抜きをさせてくれています。ご飯もしっかり食べてくれますし、しっかり運動をして、しっかり寝ていますよ」(幸太郎さん)
午後のひととき、アヴェンティーノは馬房の中にいた。この日は雨が降ったり止んだりのあいにくの天候だったが、ちょうどその時間帯に雨が上がっていたこともあり、幸太郎さんが外へと連れ出してくれた。馬繋場に佇むアヴェンティーノの無口には「Y IKEE STABLE」というプレートがついていた。大人しく穏やかなこの馬が、かつて競走馬として走っていた名残りでもある。
初対面の筆者がカメラを近づけても、至って冷静に紳士的に振る舞ってくれる。幸太郎さんが、曳き手を持って馬繋場から歩き出したが、すぐに立ち止まり、地面の草に夢中になった。引っ張っても動かない。ひたすら食べ続けているその姿に、人を乗せた時には真面目に、けれどもそれ以外はリラックスして自己主張もするんだなと微笑ましかった。
日本からフランスに渡り、凱旋門賞をオルフェーヴルとともに駆け抜けてから、4年の歳月が流れた。アヴェンティーノは2012年の凱旋門賞を最後に競走馬生活に別れを告げ、乗馬となった。オルフェーヴルは現役を続けて翌年も凱旋門賞に挑み、現在は種牡馬となっている。4年前、フランスで同じ時間を過ごした2頭は、別々の道を歩んでいる。
アヴェンティーノもオルフェーヴルも、あの日、あの時を思い出すことはあるのだろうか? それは馬に聞いてみなければわからないけれど、人間のように過去の栄光にすがることなく、馬たちは与えられた今を生きているのだ。夢中に草を食べ続けるアヴェンティーノを眺めながら、ふとそう思った。
※アヴェンティーノは、基本的に見学は受け付けておりませんが、体験乗馬やビジターで騎乗される方は会うことができます。
(体験乗馬、ビジターは事前に予約をお願いします)
柏乗馬クラブ
〒300-2306 茨城県つくばみらい市南太田808-1
TEL 0297-21-6777
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