1992年の
皐月賞・
日本ダービーを制した
ミホノブルボンが、22日に老衰のため死亡していたことがわかった。28歳だった。
同馬は
父マグニテュード、
母カツミエコーという血統で、1991年に栗東の戸山為夫厩舎に入厩した。当初は評価が低かったものの、当時最新の施設だった坂路コースで徹底的に鍛え上げられ、デビュー前から古馬を上回るタイムを連発。「坂路の申し子」と呼ばれ、新馬戦こそ出遅れての差し切りだったが、以後はスピードの違いにものを言わせた先行押し切りで、朝日杯3歳S(当時)、
皐月賞、
日本ダービーと3つのGIを含む無傷の6連勝を飾った。
秋は初戦の
京都新聞杯を制し、距離不安が囁かれつつも
菊花賞で無敗の3冠制覇に挑戦。生粋のステイヤー・
ライスシャワーの前に敗れ3冠達成はならなかったが、2着は確保して92年の
年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出された。
以後は度重なる故障でレースに出走することなく94年に引退。種牡馬入りしたが、
JRAの重賞を勝つ産駒は送り出せず、現在は北海道日高町の
スマイルファームで余生を送っていた。