明けて11歳になる
ドリームバレンチノ(栗東・加用正厩舎、父・
ロージズインメイ、母父・
マイネルラヴ)の引退・種牡馬入りが決まった。繋養先は
アロースタッド。
ドリームバレンチノは2009年のデビューから2017年12月27日
兵庫ゴールドトロフィー(GIII)のラストランまで、8歳と10歳以外は勝ち星を挙げるなど、毎年コンスタントに高いレベルで走り続けた。通算成績は地方交流も含めて55戦12勝。重賞勝ちは、7歳にして初のGI勝ちを果たした2014年の
JBCスプリント(JpnI)、
ロードカナロアを2着に負かした2012年の函館ス
プリント(GIII)など芝2勝、ダート3勝だった。
デビュー以来、8年4か月もの長い間苦楽を共にしてきた担当の牧野助手は、別れを明日に控えた4日午後、感慨深く愛馬との歴史を振り返った。
「
ドリームバレンチノは2歳の9月に入厩してきました。同じ月に自分には子供が生まれたんですが、その子はいま小学2年生になりました。人間の子がこれほど大きくなるまで一緒にいたんだな、と思うとその時間の長さを改めて実感します」
冬場に調子が上がる体質であり、かつダート重賞はこの時期に多く組まれているため、毎年冬場はいつも厩舎にいた。
「デビュー以来、一度も冬毛が出たことがないんです。今もツヤツヤしています。それだけ体調がいいんでしょうね」
加用師は早くから
ドリームバレンチノに期待を寄せていたこともあり、少しでも不安があるようならすぐに放牧に出して大事に至らないように調整を進めた。
「結果として、慎重に慎重に大事に駒を進めてきたのが良かったんでしょうね。今でも走る十分ですし、気持ちも身体も衰えていないですよ」
牧野助手に思い出のレースを聞くと、意外な答えが返ってきた。
「いつもゲートについて行っていました。その上、短距離戦だったので、実際にレースで走っている姿は(移動のため)ほとんど生では見れないんです。大体その日の夜に家でVTRでレースを見ていました。勝ったときは嬉しくて何度も見ていましたが、印象としてはあまり強くない。むしろ、負けたレースのほうが悔しくて悔しくて印象に残っているんです」
嬉しい時も、苦しい時もいつも一緒に過ごしてきた。
「こうやって長く一緒にやってこれたのが財産です」
翌5日朝、別れの時がきた。いつもどおり、牧野助手は
ドリームバレンチノを馬運車に乗せた。そして、牧野助手だけ馬運車から降り、馬運車を見送った。
「タラップが上がり、姿が見えなくなって。馬運車が出発したときはさすがに寂しくなりました。来年の夏、種牡馬になってひと段落したころに北海道に会いに行きたいです」
(取材・文:花岡貴子)