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エイシンワシントンらの父オジジアン安楽死

  • 2015年03月16日(月) 18時15分
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複数のG1を勝って種牡馬となり、引退馬施設オールドフレンズの最古参だったオジジアンが疝痛からの合併症で3月14日に死んだ。ダマスカス産駒の彼は32歳だった。

オジジアンは日本からアメリカに帰国した、オールドフレンズ創設期の3頭の種牡馬の最後の生き残りだった。ほかの2頭は、1988年芝牡馬チャンピオンで2014年に29歳で死んだサンシャインフォーエヴァー、フランスのG1勝ち馬で2月28日に疝痛により同じく29歳で死んだクリエイターである。

オジジアンが22歳のとき、オールドフレンズは同馬に余生を送らせるため、日本側に150万円(約13400ドル)を支払って獲得した。取引はナーヴィックインターナショナルジャパンのイガラシメグミの仲介で行われた。

オジジアンはクレイボーンファームで種牡馬入りし、1995年からは日本のイーストスタッドで繋養された。日本での繋養中に失明している。

種牡馬成績は17世代の産駒のうち、733頭が出走し、23頭のステークスウィナーを含む473頭が勝ち上がった。獲得賞金は約5200万3000ドル。おもな産駒にはアメリカの重賞勝ち馬4頭が挙げられる。

しかし、オジジアンの最大の成功はブルードメアサイアーとしてである。その娘たちは2001年の最優秀2歳牡馬ヨハネスブルグ、G1勝ち馬ストリートボスなどを含む36頭のステークスウィナーを送り出している。

オジジアンはフロリダ産馬で、2歳時と3歳時にG1に勝った。2歳時は3戦3勝。1985年フューチュリティステークスを9・1/2馬身差という圧倒的な強さを発揮して勝利し、同年のブリーダーズカップ・ジュヴェナイル勝ち馬タッソーとともに、126ポンドで2歳馬トップの評価を受けた。3歳時はジェロームハンデとドワイヤーステークスでG1を2勝した。1987年(4歳)で引退するまでに通算10戦7勝、獲得賞金は45万5520ドルだった。


■マイケル・ブローウェン(オールドフレンズ創設者兼社長)
私たちは10年にわたって彼の支えになれたことを誇りに思います。かけがえのない存在でした。


(Blood-Horse 3月15日)


【補足】
オールドフレンズのプレスリリース
http://www.oldfriendsequine.org/horses/ogygian-24.html

プレスリリースでは安楽死という記述があります。フラワーパークと死闘を演じた快速馬エイシンワシントンを筆頭に、スピード豊かな産駒が活躍しました。母の父としては交流重賞の常連ダノンカモンなどを出しています。
ネタ元のURL
http://www.bloodhorse.com/horse-racing/articles/90722/grade-i-winner-and-sire-ogygian-dies-at-32

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