「開場以来、オーナーブリーダーとして1頭の馬も売却せず、生産・育成にまい進してまいりました。しかし、競馬で勝つこと以外に収入源がないメジロ牧場にとりましては、90年代のように調子の良いときは良かったのですが、そうでないときの経営は大変なものがありました」。かみしめるように北野氏は文章を読み上げた。
父である故・豊吉氏が67年に開場して以来、半世紀弱。80〜90年代の競馬界をリードしてきた名門も、時代の流れに逆らうことはできず、3年前から経営が悪化していたという。「今は昔と違って短距離が多い。それが大きな原因。メジロの馬は長距離血統ですから」。
ピーク時は50頭近くがトレセンに入厩していたものの、現在は約半数。GI制覇も00年
メジロベイリー(朝日杯3歳S)を最後に遠ざかっていた。
現役馬は5月20日を最後に、名義が大手グループ関係者に変更される見込み。また、北海道洞爺湖町と伊達市の牧場、ならびに繁殖牝馬、功労馬として余生を送る91年の
宝塚記念馬
メジロライアンも、同じ大手グループが所有する方向で調整していることを明らかにした。
ナリタブライアンを生産した早田牧場(02年)や、西山牧場(08年)に続き、20世紀後半を象徴する生産牧場がまたひとつ去ることになる。
「(70年に)
メジロアサマが
天皇賞(秋)を獲ったことが一番の思い出」(同氏)と思い入れ深い1頭から、3代父子天皇賞制覇など、ファンを魅了し続けたメジロ牧場。「未練がないわけではない。ダービーを勝てなかったのは心残り」。目に涙を浮かべながら競馬界に
サヨナラを告げた。
提供:デイリースポーツ