2013年夏の特別企画。担当馬に愛情を持って接している厩務員さんや調教助手さんと愛馬との「絆」をお届けします。普段なかなか知ることのできない、競馬の舞台裏。トレセンで日々取材しているライター陣が、とっておきの温かいエピソードをリレーでご紹介します(8月の毎週金曜公開)。今週は「美浦トレセンニュース」でお馴染みの佐々木祥恵さんです。
現在はブリ―ズアップセールというセリ方式に姿を変えたが、かつては「抽選馬」という制度があった。抽選馬は安い馬というイメージが定着しており、活躍すると話題になっていた。その中の1頭にコーセイという牝馬がいた。父タイテエム譲りの、栗毛に四白大流星の派手な容姿を持つその馬は、重賞4勝の大活躍を見せ「抽選馬の星」と呼ばれていた。24年も前に引退した彼女だが、29歳になった今も北海道・浦河町で静かに余生を過ごしている。現役時代に担当だった永井智樹厩務員(現・杉浦宏昭厩舎)に、当時の記憶を掘り起こしてもらった。(※当時の馬齢表記を使用しています)
―17歳の厩務員―
永井智樹が厩務員になったのは、1986年、17歳の時だった。配属された尾形盛次厩舎でいきなり任されたのが、当時連戦連勝のアラブのチャンピオン、ミトモスイセイ。
「この馬がライオンみたいに、ものすごくうるさい(笑)。ところが競馬の日だけ、噛みつくこともないし、朝から1日中大人しいの。競馬モードになるんだろうね。すごい馬だなと思った。でも世話する方にしてみたら、普段大人しくて、競馬の日だけうるさい方が良いけどね(笑)」
そして3歳の牝馬が、もう1頭の担当馬として永井のもとにやってきた。抽選馬・コーセイだった。抽選馬とは、JRAが購入した馬に育成を施し、改めて馬主に抽選で販売された馬のこと。馬名の前には、抽を丸囲みで表記されたために、マル抽と呼ばれていた。コーセイの馬主への頒布価格は430万。
「コーセイが来た時は貧弱な仔馬という感じで、安かったのもわかる気がした。入厩してすぐに馬栓棒の下をくぐり抜けて放馬して、よその厩舎で捕まっていたよ。馬栓棒を2本しているのに、どうやって潜り出たのかわからない。怪我もなかったし、体が柔らかかったんだろうね」
春に入厩した貧弱な仔馬は、夏を越して体も大きくなり、どんどん良くなってきた。デビューは秋。
「新馬戦前の追い切りでは、古馬2頭の真ん中に入れてもらったんだけど、古馬相手に間から抜け出そうとしてくるの。これは走るかもしれないと思った」
新馬戦は、コーセイの生涯でただ一度...