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桜花賞で2着するなど活躍した「抽選馬の星」コーセイが死亡

  • 2014年06月18日(水) 18時16分
 1989年の中山記念(GII)など重賞を4勝したコーセイ(牝)が、6月15日早朝、余生を過ごしていた北海道・浦河町の渡辺牧場で亡くなった。30歳だった。

 かつてJRAが購入して育成した馬を、改めて馬主に抽選で販売するという制度があった。コーセイも430万円で馬主に頒布された抽選馬だったが、3歳(旧馬齢表記)時から頭角を現して、桜花賞で2着になるなどクラシック戦線でも活躍したために「抽選馬の星」とも呼ばれていた。

 1989年の安田記念(8着)を最後に現役を引退し、繁殖生活を送った後、現在のオーナーと出会って、渡辺牧場で静かに余生を送っていた。しかし、別れは突然訪れた。コーセイが立ち上がれなくなっていることに気づいたのは、6月15日の午前0時頃。コーセイを助けようとあらゆる手を尽くしたが、それも困難と判断するに至り、安楽死の措置が取られ、午前5時50分頃に息を引き取った。

「左後ろ脚が悪かったのですが、そちら側を下にして寝ていたために起き上がれなくなってしまったようです。馬のような大きな動物が横たわり続けると、体重に内蔵が圧迫されて壮絶な苦痛が伴います。後ろ脚が痙攣して、苦しそうにもがいている場面もありました。オーナーさんにも相談させていただいて、安楽死の措置を取ることに決めました。麻酔薬を使いましたので、最後は安らかでした」と、渡辺牧場の渡辺はるみさんは、悲しみをこらえて状況を教えてくれた。

 コーセイは、ナイスネイチャの母・ウラカワミユキ(牝33)と毎日一緒に放牧地にいた。ウラカワミユキはいつもコーセイを頼り、コーセイは包みこむような温かさでウラカワミユキを受け入れていたという。

「人にも馬にも優しい、とても存在感のある馬でした。札幌在住の馬主さんも、ご自分の子供のように可愛がっていらっしゃいましたよ。10年以上の長い間、この牧場にいましたので、本当に可愛くて・・・」と、はるみさんは言葉を詰まらせた。

 6月16日には、ファンから届けられたたくさんの花が供えられたお墓の前でお葬式が行われた。人にも馬にも慕われた心優しいコーセイ。その死は悲しくはあるが、渡辺牧場で穏やかに暮らした日々を想像すると、幸せな馬生だったに違いないと思うのだった。

(取材・文:佐々木祥恵、写真提供:渡辺牧場)

→元気な姿を見せていたころのコーセイの記事はこちらから
「抽選馬の星」コーセイ、言葉を越えた信頼関係/馬と人の絆(2)

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