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週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

  • 2002年03月27日(水) 00時00分
 3月23日にナドアルシバで行われたドバイワールドC開催を、私なりに振り返ってみたい。

 今回の各レースの結果を見ると、大きなポイントの1つが、19日火曜日朝の暴風雨にあったように思う。何しろ、雨の用意などほとんどしていない砂漠の国に、台風並みの風雨がやってきたのだ。

 その朝、私は日本馬の調教時刻に合わせて朝3時30分には競馬場のスタンドに着いたのだが、誇張ではなく、何かに掴まっていなければ立っていられないほどの風雨だった。競馬場までの道はあちこちで水没。街路樹は倒れ、スタンドの上層では既に用意されていた各国放送局ブースの机や看板が吹き飛ばされ、散乱している状態だった。

 今回、私は別の仕事の都合で本番の2週間前から現地入りしていたのだが、その頃から気候の異変の前触れはあった。まず、現地入り後まもない9日の土曜日に,雨が降った。それも、現地の方に聞くと「滅多にない」という、アスファルトの路面がしっとりと濡れるほどの降雨量だった。そして、日中の気温が意外に上がらず、思いの外涼しかったのだ。

 日本馬にとっては好ましい条件が整っていると、当初は思っていたのだが、とどめの暴風雨には大きな影響を受けることになった。日本馬の調教時間、本馬場はクローズとなり、日本馬は照明施設のないサブトラックで、真っ暗な中での運動を強いられることになったのである。日本馬は4頭とも、翌20日水曜日に最終追いきりをかけられる予定だったので、この影響は大きかったはずだ。そして、日本馬の調教時刻が終了すると間もなく風雨は収まり、7時過ぎには本馬場がオープン。7時まではローカル馬の調教時刻だったので、外国馬で影響を受けたのは日本馬だけだったのである。

 さて、その後だ。火曜日の風雨の前の段階での、関係者の話をまとめると、ナドアルシバのダートは相変わらず固くで浅く、走りやすい馬場との認識だった。ところが、本番当日。メインのワールドCで圧倒的人気を背負って敗れたフランキー・デトーリが、「馬場が深くてダメだった。こういうダートは合わない」と発言。ゴールデンシャヒーンで5着と敗れたブロードアピールの関係者からも、同様に「深くて力の要る馬場だった。これでは...。」とのコメントが出たのである。これは何を意味するのか。

 ここからは推測だが、おそらくは、暴風雨でコースの砂が流れ、その後新たに砂を入れ直したのだろう。そうでなければ、火曜日の前と後でこんなにも劇的にトラックコンディションが変わるはずがないのである。本来は芝のスピード競馬が得意なサーキーが、持ち味を発揮できなかった地元ゴドルフィン陣営にとっても、これは大きな誤算であったろう。屋外スポーツである競馬の難しさを再認識させられた1日だった。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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