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出産あれこれ

  • 2002年04月17日(水) 00時00分
 三月と四月は出産ラッシュとなる。この時期の生産者の挨拶は「何頭生まれた?」「牡と牝の割合は?」などという“出産ネタ”が多くなる。いずれにしても、生産者にとっては気の抜けない時期だ。

 私もほとんどの繁殖牝馬の出産に立ち会ってきたが、時々は「知らない間に生まれてしまっていた」ということがあった。これが経産馬で安産ならば、何の事はないのだが、少しでも異常があったりすると大変なことになる。

 もう10年近く前の話だが、奇形の産駒をどうやっても分娩させることができず、ついに母子ともに死なせてしまったことがあった。胎児は結局、真っ二つに“切断”して引っ張り出したのだが、あたり一面血の海となって、とても正視できる状況ではなかった。こういうことがあると、精神的に参ってしまう。その次の出産が怖くなるのである。

 さて、怖いのは、何も突然のアクシデントばかりではない。初産の繁殖牝馬もまた、いったいどんな母馬になるものか見当がつかないだけに、これもまた別な意味で怖い。

 4月中旬のある夜、私の牧場でも、この初産を迎えた繁殖牝馬がいた。 夜10時。テレビカメラで監視していると、何やらソワソワと落着きがない。予定日からもう一週間が過ぎている。前日より乳房の先端には、俗に言う“乳ヤニ”がべったりと付いていて、完全に分娩する兆候を見せている。馬房に行ってみると、肩のあたりには発汗もある。「これはいよいよ始まる」と思って、そのまま待機することにした。

 やがて、羊水が下り始めた。初めての出産だから、馬もどうして良いやら分かっていない様子だ。こういう時、人間はなるべく騒がずにそっとしておいてやるより仕方がない。相手は喋ることができないのだし、陣痛と恐怖心とでパニックを起こす寸前なのだ。下手に刺激を与えるのは良いことではない。

 案の定、たまらず馬が横臥したのを見計らって馬房内に入ると、人間を警戒してすぐ立ち上がってしまう。そんなことを数度繰り返したので、いよいよ子袋と前脚が二本出て来るまでは放置しておくことにした。

 15分も経っただろうか。前脚と一緒に頭部も出始めたのを確認してから、ようやく引っ張ることにした。生産者の中には「決して人間が手助けするべきではない」という考え方の人もいる。なぜならば、馬は本来自力で分娩すべき動物で、一度でも引っ張って助けると、それが悪い癖になるというわけである。

 また、無理に引っ張ったりすると、外陰部を裂傷させたりするとも言われている。

 だが、私の場合は、目の前でヒーヒー言っている馬を見るとどうしても手を出してしまう。今回も、結局引っ張り出してしまった。

 人間とおなじように、馬にも子育てを放棄してしまうタイプの母親が稀に存在する。また、逆に子供を溺愛するがあまり、人間に極端な敵意を見せるのもいる。この母馬は、どちらかというと後者に近いタイプで、産駒に浣腸をしようと馬房内に入ったら、耳を絞って威嚇して来た。

「さっきまでヒーヒー言ってたくせに…」と思ったものの、まぁとりあえず牡馬だったので、大目に見てやることにした。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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