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凱旋門賞・回顧

  • 2010年10月06日(水) 10時00分
 世界の競馬ファンを唸らせた、モンジューとエルコンドルパサーによる激闘から11年。欧州12F路線におけるシーズン最後の大一番・凱旋門賞で、再び日本馬が世界一の座を目指しての一騎打ちに加わることになった。

 日の丸を背負って世界一争奪戦における最終局面に挑んだのが、11年前と同様、二ノ宮敬宇調教師の管理馬で、蛯名正義騎手が手綱をとる馬だったことを、どう捉えようか。

 彼らであったからこそ、加わる事が出来た戦いであったかもしれないが、彼らであったからこそ、今度こそ勝利の女神にほほ笑んで欲しかったと思う。

 外野席の観客としては、最終コーナー手前で他馬に寄らせ、蛯名騎手が2度3度と腰を落とす場面を振り返り、あれさえなかったらと、「タラレバ」はタブーと知りつつ愚痴りたくなるところだが、調教師、騎手が異口同音に、「あれも競馬。許容範囲内」と一切言い訳にしなかったところも、彼らであったからこそのコメントなのだろうと、深く感銘した次第である。

 凱旋門賞の第一次登録が締め切られたのは、今年4月である。セントライト記念など2重賞を制し、ダービーでも4着に入着していたものの、一流のやや下というのがこの馬に対する一般的な評価で、当時としてはそういう存在だったナカヤマフェスタを凱旋門賞に登録していたという先見の明と用意周到ぶりに、まずは舌を巻く。

 宝塚記念を、陣営としては予定通りに制した後の、二ノ宮師の動きは素早かった。G1初制覇の直後に、凱旋門賞挑戦を表明。同時に、11年前の経験と人脈を活かして、遠征計画作成と具体的準備の陣頭指揮に立った。11年前、エルコンドルパサーとともに半年にわたってシャンティーに滞在し、現地を知り尽くしている佐々木助手が、今回も帯同することが決定。当時の滞在先だったトニー・クラウト調教師に連絡をとり、再びクラウト厩舎の一角をフランスにおける拠点とする許可を得た他、ナイトウォッチマンとしての役割をはじめ現地の世話役としての仕事を依頼したパリ在住の日本人に“ダメもと”で連絡をとってみたら、11年後の今も当時と同じ立場でパリにおられることが判り、陣営に加わってもらうことになるなど、「チーム・エルコンドルパサー」の半ばが再結集することになった。

 日本にも多数の管理馬を抱える二ノ宮師が、成田とシャルル・ド・ゴールを頻繁に往復しつつ仕上げの指揮をとるスタイルも、前回と同じだった。11歳年齢を重ねた分だけ、師にとっては体力的にきつかったはずだが、やり切った。

 気が悪い、というよりは、変わり者で唯我独尊タイプのナカヤマフェスタをロンシャンの環境に置いた時、いかなる化学反応が起きてどんな結果をもたらすかを、二ノ宮師は予知していたように思う。これまでも、シーキングザパールやアグネスワールドといった利かん気の強い馬が、ヨーロッパの環境に置かれると驚くほどリラックスした光景を私たちは目の当たりにしてきたが、ナカヤマフェスタも、変わり者という基本キャラは維持したものの、古馬としてのどっしりした風格が、心身両面で見られるようになった。二ノ宮師としては、意図した変貌であったはずだ。

 11年前、ヨーロピアン・レースホースという欧州の競馬年鑑で、凱旋門賞におけるエルコンドルパサーの騎乗を「今年最も野心的で大胆だった騎乗」と絶賛されながら、負けたのは自分のせいと涙した蛯名騎手。当時の彼と比べれば、アメリカ東海岸長期滞在などを経て培った技術の蓄積もさることながら、11年という歳月を積んだ分だけ太くなった胆力があった。

 外野席の人間として勝手に想像させていただければ、蛯名騎手にとって最大の山場は、フォワ賞における返し馬だったかもしれない。頭を上げ、口を割りながら、暴走しようとするす愛馬を、宥めすかして落ち着かせ、超スローとなったあのレースで微塵もリズムを崩すことなく折り合うという芸当を、11年前の彼だったら出来たかどうか。難所と言われるロンシャンの下りとフォルスストレートを、馬の方は初体験だったにも関わらず涼しい顔で越えさせた段階で、凱旋門賞における好走の半ばまで、道筋が描けたように思う。

 レース史上最悪とまで言われた11年前ほどではないにしろ、今年のロンシャンも馬場は道悪になった。先導役がおらずに自らハナを切る展開になった11年前と違ったのは、有力馬の1頭プラントゥール陣営が用意をしたラビットがいた点だった。だがそのラビットが道悪に消耗してさほど速いラップを刻むことが出来ず、馬群は密集した。そんな中、ベーカバッド、フェイムアンドグローリー、ワークフォースといった有力どころをぴったりマークして中団につけたナカヤマフェスタ。蛯名騎手が、勝つつもりで競馬をしていることが、画面からもはっきりと見て取れた。

 ゴール前は、まるで11年前の再現を見るようだった。わずかに先んじる、欧州3歳世代の最強馬と、これに必死に追いすがる日本馬。

 11年前の半馬身差が頭差まで詰まったが、残念ながら日本馬による世界最高峰登頂は、今年も実現しなかった。だが、馬自身の頑張りを含めて、ナカヤマフェスタ陣営の見せた見事なまでのチーム力は、絶賛されてしかるべきであろう。

 それにしても、日本の馬は強くなったとつくづく思う。エルコンドルパサーやディープインパクトが、日本では1頭だけ傑出した存在であったのに対し、ナカヤマフェスタは、一流馬ではあるものの、彼と同等の力量を持ち、日本で戦うなら彼に先着すると豪語する陣営が、現在の日本には片手に余るほどいるはずなのだ。

 そして、11年前との大きな違いは、血統背景を含めた両馬の生い立ちにある。

 エルコンドルパサーが、渡辺隆氏という稀有な日本人ホースマンの手によるオーナーブリーディングホ−スであった一方、自身が生まれたのはケンタッキーで、父はフランスで現役生活を送った後に北米で繋養されていた馬。そして母は、ニューマーケットの繁殖セールのカタログから発掘した馬だった。

 一方のナカヤマフェスタは、日本の競馬ファンなら誰でも知るステイゴールドを父に持ち、日本の代表的市場であるJRHAセレクトセールの1歳市場を通じて現在の馬主の手に渡った馬だ。そして価格は、1000万円というお値打ち価格であった。こういう履歴を持つ馬が、今年の欧州12F路線におけるナンバー2の称号を得たのだ。日本の馬産は、流通という側面も含めて、世界基準に到達したと、いささかの口幅ったさを覚えつつも、言いきってしまいたいと思う。

合田直弘氏の最新情報は、合田直弘Official Blog『International Racegoers' Club』でも展開中です。是非、ご覧ください。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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