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週刊サラブレッドレーシングポスト

  • 2002年08月14日(水) 00時00分
 7月に行われたキーンランド・ジュライの大暴落を受けて、ここが今後のアメリカにおけるブラッドストック・マーケットの動向を探る試金石になると見られていた、『ファシグティプトン・サラトガ・イヤリングセール(8月6日〜8日、ニューヨーク州サラトガスプリングス)は、ジュライの暴落が一過性のものであって欲しいと願う関係者の淡い期待を木端微塵に打ち砕く、悲惨な結果になった。総売上げ3524万ドルは前年比43.5%ダウン、平均価格251,729ドルは34.6%ダウン、中間価格18万ドルは23.4%ダウン。更に前年19.4%だったバイバック・レートが、今年は28.5%に上昇した。すなわち、ジュライ同様の大暴落で、競馬産業界が冬の時代に突入したことを決定づける結果となったのである。

 中間価格の下落に比べて平均価格の下落が激しいという市況は、ミドルレンジの市場がそれなりに体裁を保ったのに対し、高い価格帯の市場が脆弱だったことを意味する。具体的には、20万ドルから30万ドル前後のマーケットではバイヤー側の需要も多く、活発な取り引きが展開されたのに対し、この価格帯を越えると途端に購買意欲が薄くなり、50万ドルのハードルを越えるのに青息吐息といった市場が展開されたのである。

 ファンダメンタルな理由は、ジュライの時と同様、一般景気の減速にある。株価下落の引き金となった一流企業の粉飾決算について、これまで発覚したいくつかの例は"氷山の一角"と言うのが一般市民の見方で、アメリカの株式は今後も低空飛行を続けるというのが大方の予測だ。1990年代半ば以降の競走馬市場の繁栄は、一般景気の動向と密接にリンクしていると言われていただけに、減速した一般景気の底入れを見ないうちは、競走馬市場の厳しい局面も続くだろうと見られているのである。

 高いマーケットの不振には、大物種牡馬の欠落も要因の1つに挙げられている。すなわち、ミスタープロスペクターが亡くなって、ここサラトガセールの種牡馬リストからもその名が消滅した。シアトルスルーやヌレイエフも亡くなり、ダンジグも高齢化で産駒数が減少。トップエンドの市場は、ストームキャットが孤軍奮闘という状況なのだ。市場関係者は、初年度産駒が来年イヤリングになるフサイチペガサスやジャイアンツコウズウェイらに"次世代の大物種牡馬"となる期待をかけているが、上記の顔触れの跡を継ぐのが容易ならざることは、関係者ならずとも予測がつくことだ。

 そんな中、日本人によると見られる購買は3頭。転売目的の購買が1頭あるのみで、実質的には"ゼロ"だった前年に比べれば、大きな前進である。

 20万ドルで購買された上場番号84番は、父ガルチの牡馬。母の兄弟に根岸Sを制したセレクトグリーンがおり、日本への適性は充分にあるものと思われる。

 35万ドルで購買された上場番号158番の牝馬は、母が重賞2勝馬で、G1サンタモニカHでも2着となっている活躍馬のスキーダンサー。現役としての期待はもちろんのこと、将来の繁殖としての価値を考えれば、35万ドルは安い買い物だったと思う。

 更にお買い得だったのが、7万5千ドルで購買された上場番号159番の牝馬。父はシアトルスルー系の有力後継馬プルピットで、従兄弟にG1勝馬ストラテジックマヌーヴァーがいるという牝系。馬も良く、大変なバーゲンプライスであったと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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