スマートフォン版へ

大安吉日は馬輸送日

  • 2002年10月14日(月) 20時48分
 競馬の世界は依然として古い習慣が残っているようで、その一つがこの輸送日に大安吉日を選ぶことだ。10月14日の体育の日はちょうど大安吉日と重なり、各地では結婚式などもたくさん行われたことだろう。日高でも、この日は一気に1歳馬の移動が盛んに実施された。私の牧場でもおよそ100キロ離れたとある育成牧場に生産馬を運んだ。

 昨年春に誕生して約1年半になる1歳馬は、人間の年令に換算すると中学生くらいの感覚だろうか。まだ大人になり切っていないが成長ははっきりと現れており、とにかく元気だけは良い。やがて年末にかけて初期調教が始まり、彼らにとっては考えても見なかったであろう「人間を背中に乗せて走らされる」日々が訪れる。のみならず、蹄鉄を打たれ、ゲート練習も施され、すべてが競馬場でレースに出走するためのステップとして位置づけられるのだ。

 当然、それらは大変な苦痛と忍耐を伴う「試練」である。だからこそ、生まれてからの1年半の過ごし方が大切になってくるわけである。いかに自然に初期調教へと移行できるかは、持って生まれた性格にもよるけれど、生産牧場でどれだけ人間の手がかけられてきたかにかかっている。従順な馬と、極端に言えば人間を見たことがないのではないか、とさえ思えるくらいの手のかかっていない馬とでは、当然のことながら育成牧場のスタッフの苦労がまるで違ってくる。同じ牧場から「野生馬」のような1歳馬が数頭入厩しただけで、もう「○○牧場の生産馬は要注意」という評判が立てられたりしてしまうのだ。とりわけBTCのような育成牧場がたくさん集まってくる場所では情報が早く伝わるので、なおのことである。

 ところで、1歳馬を移動するための第一歩は「馬運車に乗せる」ことから始まる。生産牧場の馬運車は自家用の2トンや4トン程度のトラックに木製の馬室を搭載したものが大半である。ちなみに私の牧場の馬運車も2トンだ。馬室のサイズは幅1.8メートル、奥行4メートルくらい。高さは2.3メートル。普段生活する馬房には毎日当り前に出入りできても、いざ馬運車に乗せようとするとこれがなかなか大変な作業となる。警戒心の強い動物なので、強く抵抗して暴れたりする馬も多い。それで後ろに転倒させてしまい後頭部を強打させて「予後不良」になった知人の牧場の生産馬もいたくらいだ。

 それで周到な生産者は移動する少し前から連日馬運車に乗せる訓練を繰り返す。すんなりと乗るようになったら、後ろの扉を閉めて、エンジンを始動し実際に道路を走って見る。それでも馬室の中で騒がなくなったらしめたものである。

 とはいえ実際は、結局その日の朝になってあたふたと急いで積み込むことが多い。長じて競馬場で走るようになってからも、馬運車での移動は競走馬生活を送る上で避けて通れない「道」なのだが、現役馬の中にも実は馬運車が嫌いという馬が相当いるらしいなどと聞くと、元を辿れば案外私たち生産者の慣らし方にそもそもの原因がある場合がないとも言えないなと思ってしまう。

 さて、1歳馬の移動後、空いた馬房に離乳した当歳を収容する予定の生産牧場が多いのだが、このところの不況で未売却の1歳馬を抱えている牧場が少なくない。馬房も空かず放牧地もやりくりがつかないとあっては、離乳が遅くなるわけで、様々なところに悪影響が出てくる。一年を通して季節ごとに決められたスケジュールに狂いが生じてしまうことは決して良いことではないのだが、この問題は根が深いため簡単にここでは論じられないのが残念だ。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング