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福田好訓持ち乗り助手インタビュー中編

  • 2011年05月11日(水) 12時00分
アパパネの活躍と切っても切り離せないのが栗東滞在。今や国枝栄厩舎の代名詞である栗東滞在を、ほぼ一手に引き受けてきたのも、福田好訓持ち乗り助手です。しかし、初めのうちは失敗の連続だったと言います。

◆心が折れそうになって

赤見 :三冠レースの中で一番自信があったのが秋華賞ということですが、史上3頭目の牝馬三冠馬の誕生。その瞬間はどんなお気持ちでしたか?

福田 :秋華賞に向けては、プレッシャーという意味ではそこまでではなくこれたような感じがあったんですよね。でも、達成したはやっぱりほっとしたかな。うれしいのはもちろんですけど、ほっとしましたよね。

赤見 :2歳時の阪神JF(09/12/13、阪神芝1600m、1着)から、これで4つ目のGIタイトル。すごいですね。

福田 :そうですよね。阪神JFもですからね。でも、この時が一番、自信があったかもしれないです。

赤見 :そうなんですか!? 秋華賞よりも?

福田 :そうですね。2歳のあの時期の牝馬として、完成されているというわけではないんですけど、とにかく良かったイメージがあります。「今、この馬より走る馬がいるのかな?」というくらいの気持ちでしたからね。

赤見 :ああ、そこまでの手応えを感じていての勝利だったんですね。この阪神JFの前から、アパパネは栗東滞在をしています。行かれたスタッフさんは福田さんと、他にも?

福田 :いや、僕だけでした。

赤見 :1人だけで!? アパパネは阪神JFの時、チューリップ賞から桜花賞の時と、何度も栗東に滞在しています。福田さんにとっては、孤独との戦いでもあったんじゃないですか?

福田 :まあ、小島茂之厩舎や大竹正博厩舎など、関東の厩舎の方もいますからね。調教は全然違いますけど、あまりライバルという意識ではなく、仲良くやっていました。

赤見 :同じ関東勢としての意識もあるんですね。1人で管理されていて、調教メニューはどうしていたのですか?

福田 :毎日2回は先生と電話をしていたので、それで話して決めていました。でも、先生は細かく指示をする方ではないので、自分で思ったように乗っていましたね。自分のリズムでやっていって、その中で良い方向を見つけていって。

赤見 :任される分の責任もあるじゃないですか。1人で思い悩んだりされなかったですか?

福田 :それはなかったですね。ベストは見つからなくても、ベタ―なやり方を見つけて、試行錯誤しながらやっていました。まあ、さすがに桜花賞の時は胃が痛かったですけどね(苦笑)。

赤見 :やっぱり一番のプレッシャーは、桜花賞だったんですね。

福田 :桜花賞でしたね。レースが終わった後「胃が痛い」「いていていて…」って(苦笑)。

赤見 :…GIを獲ることって本当に大変ですね。国枝厩舎は栗東滞在のパイオニアとして有名ですが、福田さんは結構前から行かれているんですよね?

福田 :ずいぶん前から行っています。マイネルソロモンの時からなので、6年前になりますか。

赤見 :初めて栗東に滞在した時は、どんな印象でしたか?

福田 :美浦の坂路ではビューンと行っちゃうような馬が、栗東の坂路だと普通に乗れていました。それだけ栗東の坂路は負荷がかかるのかなと思いましたね。また、逍遥馬道なんかは衝撃を受けました。

赤見 :それからも、栗東へはほとんど福田さんが行かれています。先生の信頼が厚いですね。

福田 :いや、たまたまです(笑)。みんな忙しいので、それで僕になっているんだと思います。まあ先生としても、初めての人よりは経験のある人の方がいいんだと思います。

赤見 :初めてだと、人も環境に慣れないといけないですもんね。

福田 :ええ。特に2歳の牝馬だったら、それこそ人が右往左往していては。それなら分かっている人間が行った方がって、そういうことだと思います。でも、今は栗東滞在を始めたばかりの厩舎もすんなり結果を出しているから、すごいなと思いますよ。僕はかなり打ちのめされていましたからね。

赤見 :最初に行った頃ですか?

福田 :そうです。いろんな馬で行かせてもらっていました。それこそ、国枝厩舎のオープン馬ではほとんど行かせてもらったんですけど、それでいろいろ失敗しました。うまくいかない時も多かったです。

赤見 :そういう時もあったんですね。

福田 :あまり勝てなかったですもんね。ピンクカメオやクーヴェルチュールも勝てなかったですし、ダノンベルベールもブエナビスタに負けました。マツリダゴッホも行っていたんですけど、ダメで。それで先生も心が折れそうになっていた時に、マイネルキッツが勝ったんです。

赤見 :一昨年の春の天皇賞。

福田 :はい。あそこでマイネルキッツが勝ったのは、本当良かったです。

赤見 :長い苦労がようやく実ったという。その年の暮れにアパパネが阪神JFを勝っていますから、そういう経験でつかんだ勝利だったんですね。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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