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オグリキャップ一周忌、馬像除幕式

  • 2011年07月06日(水) 18時00分
 7月3日。新冠町朝日の優駿スタリオン内にある優駿メモリアルパークにて、昨年の同日に亡くなったオグリキャップの一周忌法要と馬像除幕式典が行われた。

 南から湿った空気が流れ、曇りがちながらもやや蒸し暑く感じるこの日、午前10時よりまずオグリキャップの一周忌法要からセレモニーが始まった。

一周忌風景


土川健之理事長

 馬頭観音寺(新冠)の山口順昭・大僧正による読経が流れる中、JRA土川健之理事長、水野豊香(馬事担当)理事、橋本聖子参議院議員などが次々に焼香に立ち、その後、小栗孝一氏(最初のオグリキャップ馬主)、同馬の管理調教師だった瀬戸口勉氏、生産者の稲葉裕治氏などが続いた。

 一般参列者や報道陣なども合わせ、約500人が会場に詰めかけた。稀代のアイドルホースであった同馬を偲び、ファンもそれぞれ焼香を行った。

 オグリキャップ像の除幕式は午前11時より始められた。司会進行は鈴木淑子さん。馬像建立委員会の須崎孝治会長がまず挨拶に立ち、土川健之JRA理事長、橋本聖子参議院議員、小竹国昭新冠町長など15人が除幕者として紹介されて行く。

 白い布がかけられた馬像の前に、左右7人ずつお歴々が並んで紅白の引き綱を手に持ち、合図とともに一斉に引くと、台座の上に建つオグリキャップ像が参列者の前に姿を現した。

お披露目の瞬間

 等身大で重量660キロのホワイトブロンズ像である。目を大きく見開き、やや左側に首を傾け、右前脚を前方に力強く踏み込もうとしている躍動感のあるオグリ像だ。

 このブロンズ像は、昨年秋に計画が持ち上がり、一周忌のこの日にお披露目すべく、さっそく募金活動が開始されたという。その結果、JRAや、NAR地方競馬全国協会、JBBA日本軽種馬協会、日高軽種馬農協などの関連団体及び個人から約1200件、2830万円の寄付金が寄せられ、鋳金家の後藤信夫氏が半年間で完成させたものである。

 後藤信夫氏は昭和17年の東京都生まれ。札幌競馬場や中山競馬場のモニュメントも多数手がけており、また馬の博物館(横浜市根岸競馬記念公苑)や競馬博物館(東京競馬場)にも多くの作品が収蔵展示されている方だという。

 オグリ像がお披露目された後、鈴木淑子さんから紹介された後藤信夫氏は、自らの作品の前に用意された椅子に腰かけ、制作にまつわるエピソードを対談形式で熱心に語っていた。

 最後は株式会社優駿(オグリキャップを繋養していた優駿スタリオンを経営)を代表して村田繁実氏が閉会の挨拶を行い、ちょうど正午に除幕式が終了した。

オグリキャップ像と関係者

 一連のセレモニーが終わると、オグリ像の前ではさっそく記念撮影をする多くのファンの姿があった。

 新冠では、国道沿いのレ・コード館前に建てられたハイセイコー像に続いて、また一か所競馬ファンには嬉しい観光名所が誕生したことになる。

 ただし、依然とは異なり、意外性という要素が介在しにくい今の競馬が多くの競馬ファンの目にどのように映っているものか。ハイセイコーもオグリキャップも、一躍脚光を浴びた要因は地方競馬でデビューし、その後中央に転厩して多くの名馬たちと死闘を演じた点にある。

 もちろん現在でも、これらに続くアイドルホースが出てくる可能性がゼロではないものの、残念ながら、年々その確率が低くなってきているのが現状だ。

 地方競馬でデビューし、どこまでも勝ち続けるような未知の魅力を持った逸材が登場することを願うばかりである。単なる競馬ファンだけにとどまらず、一種の社会現象にまで昇華するような注目馬は、さていつ現れるだろうか。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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