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なにか物足りない…移籍当初の日々

  • 2011年10月04日(火) 18時00分
園田競馬で不動のトップジョッキーとして君臨した小牧騎手が、中央競馬に籍を移したのが2004年。『GIを勝ちたい、武豊クンを追い抜かしたいっていう気持ちでしたね』と語る小牧騎手ですが、園田時代とはなにもかも違う環境に、当初はずいぶんと戸惑ったそうです。今回は、そんな移籍当初のエピソードから、橋口弘次郎厩舎が拠点となるまでの苦悩の日々に迫ります。

──中央には園田時代から頻繁に乗りにこられていた小牧さんですが、それでも移籍された当初は、ずいぶんと戸惑われたそうですね。

小牧 はい。仕事がしたいから、火曜日からトレセンに行くんだけど、新聞記者の人たちと話してるだけでね。なにをしたらいいのか、なにを頑張ったらいいのか、まったくわからなかった。調教は、水曜、木曜の追い切りだけでいい、あとはゆっくりしてればいいって言われたんだけど、精神的にけっこうしんどかったね。

──園田時代とは、時間の使い方がまるで違いますものね。

小牧 そうですね。それまで、あんなに暇なことはなかった(笑)。園田にいるころは、次から次へと20頭近く攻め馬をつけてたからね。今はもう慣れて、逆に“水・木だけでもいいかなぁ”なんて思ったりするんですけど(笑)。当時はなにも知らないから、時間を持て余してましたね。トレセンの調整ルームのサウナに入ったりとかしてたなぁ。レースは結構、頭数も乗せてもらってたんですけどね。それでも、なにか物足りない…そんな日々でしたね。

時間の使い方に戸惑いも…

──どなたかに相談されたりはしなかったのですか? たとえば安藤(勝己)さんとか。

小牧 うん…、しませんでしたね。嫁さんとはいつも『どうしようかなぁ』とか話してましたけど。今思うとね、ドーンと構えていればよかったんです。でもそのときは、やっぱり不安だったんでしょうね。

──最初ですから、どこかの厩舎に所属するっていう選択もあったと思うんですが。

小牧 それは一度も考えませんでした。僕がそんな感じで途方に暮れているとき、たまたま橋口厩舎の助手さんがケガをされて、人手が足りなくなったらしいんです。それで、一度先生に呼ばれまして。『ずっと見てたけど、大変みたいやね。どこも手伝うところがなかったら、うちの厩舎を中心にこれからやっていかへんか?』って言っていただいてね。僕はもう『よろしくお願いします』と、ただそのひと言ですわ。それからですね、ずっとお世話になってます。

──橋口先生とは移籍前からのお付き合いですから、先生も小牧さんを気にしてらしたんですね。先生から言葉をかけられて、どんな思いでした?

小牧 ホッとしました。これでやっと、腰をすえて仕事ができるなって。それまで園田の曾和先生の管理の元というか、ある意味、囲いのなかでずっとやってきましたから。そこからポーンと飛び出して、ひとりでこっちにきてね。とにかく不安でしたからね。

──そうはいっても、あれだけの実績を持って入ってこられたわけですから、小牧さんご自身のプライドもあったでしょうし。

小牧 プライドっていうか、“安藤さんの次”っていうのが…ね。安藤さんと同じくらい乗れるだろうと周りからは思われていたから。当然、そう簡単なことではなくてね。でも、橋口先生に声をかけていただいて、僕自身、少しずつ環境に慣れていった感じですね。

──橋口厩舎を拠点とした直後だったと思うのですが、土日で6勝された週がありました。やはり、“気持ち”って大きいんですね。

土日で6勝の活躍をするように

小牧 そうですね。メンタル面はすごく大事だと思います。調教にも火曜から金曜まで乗せてもらえるようになってね。それは今でも変わりません。今でも僕、ホンマによう乗ってますわ(笑)。

──でも、それが本来の小牧さんに染み付いた生活のリズムというか。

小牧 うん、たしかにそうです。移籍した当初の、今思えば短い時間でしたけど、仕事がないことがどれだけつらいことか、すごくよくわかったので。あのときほど“仕事がないってつらいんやなぁ”って思ったことないですからね。僕は、17、18歳のころから、毎日攻め馬ばっかりして生きてきましたからね。もはやそれがトレーニングでしたし。

──そんなつらい日々を経験されたのち、橋口厩舎をベースにすることで、競馬も生活も徐々に小牧さんご自身のリズムを取り戻されたんですね。

小牧 そうですね。でも、そのころはまだ、結果ばかりを求めてましたね。とにかく結果を出さなアカンと。1年目、2年目……いや、GIを勝つまでは、やっぱり気負いがありました。自分の乗り方じゃないっていうか…、うまくいきませんでしたもんね。なんで? っていうようなところで引っ掛かってみたり、そういうことも多かったです。だから、『小牧を芝のレースに乗せたらダメや』とか、言われた時期もありました。

──そうでしたか。とはいえ、移籍して3か月後の6月には、ニホンピロサートでプロキオンSを勝たれて。まさに横綱相撲といった強い競馬でしたが、この勝利もまた、ご自分のペースを取り戻すいいきっかけになったのではないですか?

小牧 そうですね。それ以前に、ニホンピロサートという馬とめぐり合えたことが、チャンスだと思いましたからね。なかなかめぐり合えないような馬やから、こういう馬できちんと結果を出していかなアカンと。もう必死の競馬でした。今考えたら、余裕のない競馬をしてたと思います。ただ、この世界は勝ってなんぼの世界なんでね。重賞を勝ったことで、みんなから“おめでとう”って言ってもらえて。ちょっと周りの雰囲気も変わってきたところはあったと思います。

──しかも、そのプロキオンSには、曾和厩舎のシンドバッド(鞍上は岩田騎手・12着)も出ていたんですよね。移籍後の重賞初制覇を師匠の目の前で達成するなんて、運命的ですよね。

小牧 そうそうそう。たしか、その日は父の日で。もともとその夜は、先生と食事をする予定だったんです。ちょうどその日に勝ってね。

──曾和師からはどんな言葉が?

小牧 いや、普通に「おめでとう」って。検量室の前で握手してね。

【次回の太論は!?】
ここまで橋口厩舎で重賞12勝を挙げている小牧騎手。この秋も、楽しみな馬が続々スタンバイしています。次回は、デイリー杯2歳Sに出走予定のクラレントの近況ほか、ペールギュント、ローズキングダムなどでの重賞制覇を回顧します。

【ファンからの質問コーナー】
■体調維持などで苦労されているところはありますか?

小牧 苦労はしてないですね。ただ、ジョッキーとしては体重が重いほうなので。普段はすぐ55キロくらいになってしまうんですけど、木曜日の晩ごはんを食べる前までに51キロまで落とすことを目標にしてます。自転車に乗ったり、近所の温泉施設に行ったり、ジムに行ってウォーキングマシンで歩いたり。あと、ここ1年くらい、ホットヨガに週2、3回通ってます。僕の体に合ったんでしょうね。すごく体調がいいです。体のケアは僕にとって、趣味みたいなもんやね。

■過去・現在を含めて、一番乗ってみたい馬は?

小牧 一番“強いなぁ”と思ったのは、シンボリルドルフでしたね。テレビで観てましたけど、必ず1着だったからね(笑)。競馬も上手そうだったし、安心して乗れる馬なんじゃないかなぁと思ってました。乗ってみたいねぇ。

■なでしこJapanの澤選手に似ていると言われていますが、ご自分では似ていると思いますか?

小牧 そんなに似てないと思うんやけどなぁ。それ以前に、澤さんがかわいそうなんと違う(笑)? この前、阪神競馬場でイベントがあって、ゲームを3つやったんですけど、僕の出番は“PK戦”になっていて。ピンときましたよ。案の定、ユニフォームを着せられて、『澤穂希です』って言わされましたわ(笑)。
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太論 / 小牧太
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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