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ダービー直前の騎乗停止…『ホンマにつらかった』

  • 2011年10月18日(火) 18時00分
デイリー杯2歳Sをクラレントで優勝! 今年もまた、橋口厩舎&小牧騎手のタッグによるクラシック候補が誕生しました。今回は、2010年の牡馬クラシックを賑わせたローズキングダムとのエピソードから、橋口師との意外な(?)関係や、重賞初制覇となったフィリーズレビュー(ローズバド)での“Vサイン”の秘密に迫ります!

──プレッシャーよりも、とにかく自信があったというローズキングダムでの朝日杯フューチュリティSですが、その言葉通りにとても強い競馬でした。その後は、スプリングS3着、皐月賞4着と惜敗が続いて。ローズキングダムでは、いろいろな想いを経験されたと思いますが、やはり、一番印象的な出来事というと…。

小牧 それはもう、ダービー前の騎乗停止ですね。あの騎乗停止は、すごく勉強になりました。

──たしか、ダービーの前の週でしたね…。勉強になったというのは?

小牧 あの時期って、なんでかわからないけど、勝てなかったんですわ。レースもことごとくうまくいかなくてね。それでついつい、悪い意味で無我夢中っていうか、昔の気持ちに戻ってしまって。周りが見えなくなってしまってね。やっぱり、そうなったらダメなんやなって、あとで気づいて。

騎乗停止中にはさまざまな想いが錯綜して…

──気持ちの面での焦りが、騎乗にも出てしまったということですか?

小牧 はい。でも僕、そういうの多いんです。園田にいるころからね。一度、岩田クンにリーディングを獲られたことがあるんですけど、際どい勝利数で争っているときに、岩田クンが騎乗停止になって。

──中央での騎乗数が増えつつあった2000年ですね。

小牧 そうです、そうです。周りからは『もうこれで、今年も太やな』って言われて、僕も安心したんですけど、いっぽうで、ついつい勝たなアカン、勝たなアカンと思ってしまってね。今思えば、無理矢理に勝ちにいかんと、キレイにまっすぐ乗っていればよかったのに。そんなこんなで、今度は僕が1週間くらい騎乗停止になってしまって。しかも年末やったから、その一発で暮れまで乗れなくなってしまった。岩田クンの騎乗停止は3日間やったから、僕が休んでいるあいだに復帰して、バババーッと勝ってね。僕は、なにもできないまま、初めてリーディングを獲られたんです。若いころも、重賞で勝てそうな馬がいたのに、その前に騎乗停止になって乗れないとかあったし…。そういう経験をたくさんしてきたはずなのに、ダービー前にまたやってしまってね。学んでないんやろうね(笑)。でも、ダービー前の騎乗停止でさすがに学びました。あのダービーに乗れなかったのは大きかった。ホントに大きかった。

──ご自身の手でGIを勝った馬、しかも、橋口厩舎の馬ですものね。そういう馬で、はっきりとチャンスだと意識してダービーに出るっていうのは、正直、何度もあることではありませんからね。

小牧 ホンマにショックやった。乗り替わりとかではなく、乗れたのに、自分のせいで乗れなかったわけやからね。ダービーの2週間前にゴルフに行ったんやけど、『再来週、小牧は大事なダービーやから、ボールに当たってケガでもしたら大変や。危ないからよけておけよ』って、みんな気を遣ってくれてね(笑)。

──でも、ダービーって、ホースマンにとってそういうものなんですよね。

小牧 ほんとにねぇ。皐月賞のころは、状態がもうひとつだったし、中山は馬場が悪かった。ダービーに向けて馬の状態も良くなっていたし、東京の良馬場なら…っていう思いがあったから余計にね…。神様は、なんでこんないたずらをするのかなって思いました(笑)。

──当日は、どこでダービーを観戦されたんですか?

小牧 九州の実家で観ました。昼間からみんなでビールを飲んで、鍋をつつきながらね。それまですごく盛り上がってたのに、ゴール前200mくらいでシーンとなって(笑)。僕としては、勝ってほしい、でもやっぱり自分が乗って勝ちたいっていう、すごく複雑な気持ちやったね。

──そうでしょうね。それにしても、小牧さんにとって2010年の春は、緊張感やら自己嫌悪やら、精神的にアップダウンの激しい春でしたね。

小牧 そうやねぇ。あの春はけっこうつらかったね。

──ここで少々時間をさかのぼりますが、橋口厩舎の馬に初めて騎乗されたのは99年の夏の小倉でしたね。そもそも橋口厩舎の馬に騎乗されることになったきっかけはなんだったのですか? 森厩舎などは、森師と曾和師がお知り合いだったことがきっかけということですが。

小牧 いや、橋口先生とは、森先生のようなこれといったきっかけはなかったと思います。先生自身、もともと佐賀でジョッキーをしてらしたんですよね。だから、たぶん地方のジョッキーを応援してくださっていたんだと思います。地方のジョッキーだったころから、よう乗せてくださってね。年間20勝を目指していた年(2002年)も、ユートピアとか、ホントに強い馬に乗せていただいて。

──では、純粋に、というのも変ですが、小牧さんの腕を見込んで、重用されるようになったんですね。

小牧 僕はよくわかりませんけど、シビアな先生なので、どこかで評価していただけたのかなって思ってますけど。

──ちなみに、曾和師と橋口師は、似ているところはありますか?

小牧 似てるところ? ……せっかちなところ(笑)。

──なるほど(笑)。では、まったく違うところというと?

小牧 あんまり比べたことがないなぁ。ただ、曾和先生は、前にも話しましたけど、とにかく口うるさかったから(笑)。その点、橋口先生は、僕にはなにもおっしゃいません。正直、先生とはほとんどお話したことがないんです。

──えっ、そうなんですか? 今でもですか?

小牧 そう、今でもです。もちろん、レースについての肝心な話はしますよ。ただ、レース前も、あまり指示を受けることもないですし。

──プライベートでお食事に行ったりとか…。

小牧 何度かはあるかな…。ただ、ざっくばらんにいろんな話をしたりだとか、テレビを観ながら雑談をしたりとか、そういうのは一切ありませんね。たぶん、緊張すると思います…(笑)。この前も、厩務員さんと『橋口先生と僕が話してるところって、見たことないでしょ?』って話をしていて。『そういえば、そうですね』って(笑)。ただ、もちろん要点については、きちんとコミュニケーションを取らせていただいてますよ。

──普段、あまり話をされないっていうのは、正直、意外でしたが、逆に小牧さんに対する信頼を物語っているような気もします。その信頼関係の始まりといえば、やはりローズバドでのフィリーズレビューが思い浮かびます。橋口厩舎とは、ちょうど10戦目のコンビでしたね。

小牧 僕は普段、過去のVTRとかはあまり観たりしないんですけど、ローズバドのフィリーズレビューは、事前にVTRを観ましたね。どんな競馬をするのか、まったくわからなかったので。

──親交のあった松永幹夫さんからの乗り替わりでしたよね。なにかアドバイスなどはあったのですか?

小牧 うん「ゲートがちょっと悪いよ」って聞いていて。本番でも実際に出遅れたんやけど、最後はいい脚を使ってくれてね。まぁ、流れが向いたこともあったけど、強かったです。僕自身は、まさか勝つとは思ってなかったので、プレッシャーもなく乗れましたけどね。勝つときはこんなもんかなぁって。

──あのフィリーズレビューといえば、ゴール前のVサインが強烈に印象に残っています。あれは突発的に出たパフォーマンスだったんですか?

小牧 いえ、あれは僕のなかで流行りだったというか…(笑)。それ以前に、曾和先生から『大きいレースを勝ったときくらいは、ガッツポーズなり、なにか自分をアピールせなアカン。お前は、勝ってもなにもせえへんから』って言われていてね。僕にとっては、あれが最高のパフォーマンスやったんだけどね(笑)。

フィリーズレビューでのVサインは曾和先生からのアドバイス

──ものすごいアピールでしたよ。中央では、後にも先にも見たことがないような…(笑)。あのレースを観て、小牧さんはこういう派手なパフォーマンスをするようなキャラなんだと思いましたよ。

小牧 とんでもない! 本来は、地味でコツコツ…っていうタイプなんやけどね(笑)。当時は、交流重賞とかでも勝ったらVサインしてたんですよ。マイブームだったんやね(笑)。
でも、フィリーズレビューのあと、裁決の人に『危ない!』って怒られましたよ(笑)。橋口先生は『ありがとう』って言ってくださってね。すごく喜んでくださって、もうそれだけですごく嬉しかったです。

【次回の太論は!?】
2001年、ローズバドで重賞初制覇を飾り、JRAで年間20勝を挙げた小牧騎手。翌2002年には、あの“アンカツルール”が施行され、JRAへの移籍に追い風が吹き始めました。しかし、その陰にはさまざまな苦労が…。次回は、『一番必死だった』と語る2002年の回顧を中心に、今現在、思い描く夢や、スワンSを目前に控えたリディルの可能性についてお聞きします。

【質問コーナー】
■小牧騎手にとって武豊騎手はどんな存在ですか?

小牧 僕ね、彼の大ファンなんですよ。最近は一緒に飲んだりするんですけど、酔っ払うと必ず『俺は“武豊”の大ファンやねん』って本人に言うんです(笑)。この前も、博多で午前3時くらいまで飲んでね。最後のほうは記憶がアレなんやけど…、ずいぶんと語り合っていったらしいわ(笑)。彼はとにかくお酒が強いんですわ。僕も万全の体調で行ったんやけど、やっぱり最後は覚えてない…(笑)。でもホント、彼が現れていなかったら、競馬界はここまで盛り上がってないと思うし、すごい人物だと思います。尊敬してるし、人間的にも大好きです。同じ世代やからね(小牧騎手がひとつ上)。『ケガせんように、頑張ろうな』って話してるんですよ。

■アラブとサラブレッドは、乗っていて違うものなのでしょうか?

小牧 そんなことないですよ。一緒です。ただ、地方の馬場と中央の馬場は規模が違うんでね。アラブを中央の馬場で走らせたら、またちょっと感覚が違うかも。

■中央に移籍してから、一番自分が変わったと思うのはどんなところですか?

小牧 僕自身は変わってないですね。生活面では、自由な時間が増えましたけど。
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太論 / 小牧太
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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