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JRA生産地研修生

  • 2003年01月27日(月) 18時45分
 「一年間給与を保証するので生産地に行って自由に研修をすること」というのが、この日本中央競馬会生産地研修生の制度である。発足は昭和61年度。以来毎年2人ずつこの日高にやってきて一年間を過ごし、来月には第18期生を新たに迎えることになった。その研修生を合わせて合計36人ものJRA職員が「生産地通」となって各地に散らばることになる。このほど、現在研修中のI氏とO氏が拙宅を訪れ、これまでの研修生全ての(顔写真入り)名簿を進呈してくれた。

 改めて見ると、「もう18期にもなるのか」と驚きを禁じ得ない。第1期のA氏とS氏は、年令が50代になっているはず。それぞれ日高での一年を過ごした後、A氏は東京競馬場の主席調査役、S氏は本部の総合企画部次長、と現在の役職名が記されている。

 日高に研修生として派遣される職員の年代はおおよそ30代半ばあたり。それまでの部署も各人各様だが、仄聞するところによれば、JRA内で希望を募り、派遣要員を選抜するとのこと。初期の頃は、あまり希望者がおらず、人選に苦労したなどという話も聞いたが、最近は非常にこの制度は人気が高いそうである。

 それはそうだろう。「一年間、自由に研修してよろしい」などという制度は、天下のJRAだからこそできる芸当であって、民間の企業ではなかなか難しい。「自由に」というところが曲者だが、これまでの研修生は、それぞれに充実した一年間を日高で過ごし、体も心もリフレッシュしてまた現場に戻ることを繰り返してきたのだそうだ。

 来月になると、次の研修生が日高入りし、引き継ぎのために少しの間4人で生産地を回る。2月といえばまだ北海道は寒く、道路事情も悪い。氷点下の気温と、アイスバーンと化した舗装道路にまず圧倒されるそうだが、やがて春になり馬たちの出産や種付けがピークを迎える頃にはかなり日高の生活が板についてくる。

 その内、いつのまにか北海道も短い夏になり、せり市場や札幌開催の競馬などに通っていると、もうすぐ季節は秋だ。日ましに寒さが募ってくる晩秋を過ぎると長い冬の訪れとなる。どの研修生も、こんな調子で「あっという間の一年間だった」という感想を漏らす。

 「自由に研修する」とはいっても、彼らはレポートの提出が義務づけられてもいる。つまり「何をどのように研修してきたか」が問われるわけだ。そして、生産地の姿、実情をつぶさに見聞してきた経験が、従来もまたこれからもJRAの生産地対策に生かされるはずなのである。

 総勢約1800人といわれるJRA職員の中で、まだまだ生産地勤務の経験者は少数派だろう。しかし、確実にこの研修生制度は期を重ねることでやがて実を結ぶものと信じたい。

 前述したように、初期の研修生経験者は50代になっている。部内的にも重要ポストに就く人が今後はますます増加することと思う。日本の場合は、競馬場と生産地との距離がやや離れており、「生産地のことは実はよく知らない」という職員も少なくないはずだが、競馬が生産に始まることはいわば基本である。この制度が末永く続けられることを望みたい。そして、今後は、日高のできるだけ多くの牧場を訪れて、従来以上に、「生産者の生の声」に耳を傾けて欲しいと思う。大手牧場や有名牧場だけが生産者ではないのだから。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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