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中津競馬物語

  • 2003年02月03日(月) 17時54分
 昨年秋に刊行されたこの書をずっと読みたいと思っていた。昭和63年に和歌山県紀三井寺競馬場が廃止となってから13年後の2001年3月、大分県中津市の中津競馬場が幕を閉じ、以後あたかもそれに引きずられるように地方競馬の廃止が相次いでいる。昨年は新潟と益田、そして今年は足利と上山というようにその勢いは止まるところを知らない。

 本書はそのターニングポイントとなった「中津競馬廃止」を関係者がいかに受け止め、そして廃止から1年後に中津市競馬組合より調教師・騎手・厩務員の三団体が「協力見舞金」を勝ち取るまでのドキュメントである。

 中津市長は鈴木一郎氏。この人が2001年2月9日に監督官庁の農水省を訪れ「競馬の経営不振」を理由に中津競馬の廃止を伝えた、との毎日新聞掲載の記事が騒ぎの発端である。しかも、鈴木市長は、競馬開催にもっとも密接に関わる調教師・騎手・厩務員に対し「直接の雇用関係にない競馬関係者に補償金を支払う義務も責任もない」との姿勢を強く打ち出したことから問題を更に大きくしてしまった。

 俗にこの一連の騒動を称して「中津以前」と「中津以後」というふうに全国の地方競馬関係者は認識している。つまり、「中津以前」の地方競馬廃止には、必ず関係者への補償金が支払われていたし、それが暗黙のルールでもあったのだ。競馬場がなくなることは、そこの厩舎で馬を管理し、レースに出走させている関係者の「職場」が奪われることを意味する。資格認定は全国一律に地方競馬全国協会が統括していても、実質的に個々の競馬場に所属する形で関係者は馬に関わる。中津の調教師が一念発起して大井競馬に進出することは事実上不可能なのである。

 従って、中津競馬に関わってきた多くの厩舎関係者は、市長の「補償金は出さない」との発言に一様に失望し、同時に強く反発することになる。それまで、中津競馬を現場で支えてきた人々に対し、こんな血も涙もない対応があるか、との怒りが、以後の「協力見舞金獲得運動」のエネルギー源となって行くのである。

 中津市長の「雇用関係にない競馬関係者には補償の義務と責任を負わない」との発言、姿勢は、その後の相次ぐ地方競馬廃止に、微妙な影響を与えている。少なくとも、中津以前は、何らかの形で主催者が関係者への補償金支払を履行し、言い換えると、皮肉にもその際の巨額の出費が、競馬事業からの撤退を躊躇させる抑止力になっていた部分も否定できないからである。それが、いとも簡単に鈴木市長は、敢えて道義的な問題を棚上げにして、法的解釈を全面に押し出し、全国の地方競馬関係者の一斉批判を浴びた。

 座り込み、署名活動など、中津の関係者の長くて苦しい闘いは一年間に及んだ。補償金も、結果的には当初の要求金額(年収の三年分)からは程遠い額で妥結を余儀なくされ、かつて多くのファンで湧いた競馬場のスタンドも、隣接する厩舎団地も更地に変り、今は映像と記録、そして人々のほろ苦い記憶の中にしか中津競馬場は残らない。

 本書は、「厩舎物語」などの著書を持つ民俗学者・大月隆寛が監修し、福岡市の不知火書房から発行されている。編集は中津競馬記録誌刊行会(奥吉秋・代表)。巻末にある本書の問い合せ先を付記しておく。古梶好則(こかじよしのり)大分県中津市大悟法780〜46、電話0979-32-6354。なお、発行元の不知火書房は、092-781-6962。定価1500円(税別)B5版120P。

 余談だが、北海道はこの春に知事選を控え、生産地でも次の道知事に誰が就任するのかが強い関心事となっている。ホッカイドウ競馬存続の鍵を握るのは今春選出される新知事だからである。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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