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福島競馬再開!いつも通りおもしろい競馬を

  • 2012年04月03日(火) 18時00分
ドバイでは思わぬアクシデントに遭い、残念な結果に終わってしまった小牧騎手。そのドバイでのお話は、改めてじっくりお聞きするとして、今回はいよいよ今週から再開となる福島競馬に合わせ、園田時代に経験した“復興”の苦悩や、当時の思い出を語ってもらいました。

──福島競馬がいよいよ4月7日から再開となります。今回は、園田時代に震災、そして復興を経験されている小牧さんに、当時のお話をいろいろお聞きしたいと思うんですが、実際、競馬場はどの程度のダメージだったのですか?

小牧 馬場自体がもう割れてしまってね。あとはスタンドのガラスも割れてたな。建物自体の被害はそうでもなかったんだけどね。それ以前に、競馬場の周りの被害がね…。競馬場は水を溜めていたから、水には苦労しなかったんだけど、周辺の人たちの家は、みんな断水で。かなりの人たちが水をもらいにきていましたね。僕は競馬場内の社宅に住んでいたから、嫁さんの両親とか、お風呂に入りにきたりしてましたね。とにかく競馬場の人間より、周りの人たちが大変やった。

──再開まで3か月かかったそうですが、コースやスタンドなどの修復に、やはり時間がかかったのですか?

小牧 いや、自粛ですよね。やっぱり「競馬なんてやってる場合じゃない」っていう感じだったから。調教師会が、知事さんのところに何度も「開催させてください」って頼みに行ってましたわ。

──確かに競馬は娯楽ですから、そういう状況ですと、優先順位はかなり低くなってしまいますよね。

小牧 そうやね。だから、いつ再開されるのか、まったく予想ができなかった。正直、心配やったね。でも、普段通りに馬はいるわけだから、能力検査とかをしょっちゅうやってましたね。馬場は、比較的早く直ったんでね。。

──小牧さんはその3か月間、どういう生活をされていたんですか?

小牧 朝はいつも通りに調教をやって、昼間は時間がたっぷりあるので、寝わらを上げたり、乗り運動を手伝ったり、自分の厩舎の厩舎作業をしてました。あとは、いつ再開が決まってもいいように、僕自身、馬場を走ってましたね。まぁ、それでも体重は増えましたけど(笑)。そうやって準備はしてましたね。

1日も早い復興を願っていた

1日も早い復興を願っていた

──周辺地区の復興などに、協力されたりなどはしなかったんですか?

小牧 しました、しました。騎手会でいろいろと物資を買い込んで、西宮の市役所まで運びました。騎手仲間とトラック2台で行ったんやけど、建物が倒壊しているなかを走るもんで、パトカーが先導してくれて。あの風景は、そりゃあひどかった。すごく覚えてるもんね。

──園田競馬場の周りは、被害が大きい地域でしたものね。

小牧 最初のうちは、電車も通ってなかったからね。でも、電車がやっと動き出したときに、梅田に買い出しに行ったんやけど、もう空気が全然違ったね。向こうは震災前と何も変わらず、人ごとのような感じで。こんなもんかなぁ…って思った。

──再開までの3か月間で、一番つらかったことはなんですか?

小牧 やっぱり僕は騎手やから、競馬がないのが一番つらかったですね。それまで本当に忙しかったから。ただ、攻め馬にもゆっくり乗れたし、体重をあまり気にせずにご飯も食べられたし(笑)。それまでは、毎日体重のことを気にしながら、本当に忙しくしていたからね。いつ再開されるのかわからない状態ではあったけど、僕自身にとっては、無駄な時間ではなかったような気がする。僕の身内や知り合いに、大きな被害がなかったのも幸いやったね。

──どういうタイミングで再開が決まったのですか?

小牧 3か月間、ひたすら頼み続けて、ようやく…だったと思う。県競馬なんで、上(県)がOKを出してくれんことには、どうにもならないんでね。わりと直前に決まったんじゃなかったかな。

──再開初日のお客さんの反応など、覚えていらっしゃいますか?

小牧 「こんなときに!」って、文句のひとつも言われるかなぁと覚悟はしてたんやけど、意外といつも通りでしたね。ただ、やっぱりお客さんの数は少なかったな。僕自身、いつ再開されてもいいように準備はしていたので、初日からババーッと勝ちましたわ(笑)。やっぱりうれしかったし、自分でもいい競馬ができた覚えがあります。それで、ああやっぱり準備をしていて良かったなぁと思ってね。

──ちなみに、福島は3度ほど参戦されていますが、どんなイメージがありますか?

小牧 遠い! 福島は遠い…(苦笑)。馬場もね、独特やしね。なんせ遠いですわ、福島は。でも機会があれば参戦したいと思っていますよ。

──08年の11月に、ヒカルコーズウェーで1勝されてますよね(3歳上500万/ダ1700m/4番人気)。

小牧 そうそう。その日は福島記念に乗りにいったんですけど、僕が騎乗する予定だった馬が補欠の1番手でね。たしかナムラクレセントやったと思うけど、まさかの除外で(笑)。せっかく福島にきたんやから、少しでもお金を稼がんと! と思って(笑)、必死に乗って勝ったのを覚えてます。

──最後に、福島が元気を取り戻すために、競馬やジョッキーができることについて、小牧さんはどのように考えますか?

小牧 やっぱり、いつも通りの競馬をして、盛り上げていくしかないんじゃないですかね。たしかに競馬って、こういうときに難しい立場やけど、福島だって競馬をやらないことには、周りの経済も回っていかないからね。競馬を再開することで、いろんな関係者が動き出して、それが経済の流れになるわけやから。それに、競馬が好きな人は、必ず待っててくれてる。そういうファンのためにも、僕たちはいつも通り、おもしろい競馬を見せられるよう、頑張るしかないんじゃないかな。

【ユーザーからの質問コーナー】
■花粉症の季節ですが、小牧さんは花粉症も含め、アレルギーなどありますか?

小牧 まったくないです。花粉症は、若い子のほうが多いんちゃう? 僕は、アレルギーも持病も、な〜んもありません(笑)。

■ジョッキーの方は、競艇選手や競輪選手と仲がいいイメージがありますが、小牧さんは、ほかのジャンルのスポーツの選手で、仲がいい方はいらっしゃいますか?

小牧 この前、稀勢の里から電話があったよ。飲み友達やね。鳴戸部屋に所属してるんやけど、そこの親方の隆の鶴が、鹿児島出身なんですわ。その関係で、まだ稀勢の里が下のころから、一緒に連れてきてご飯を食べたりしてね。刺激を受けるとこ? 全然ない(笑)。昔、隆の鶴には、道の真ん中で酔っ払って、逆さ吊りにされたことがあるわ(笑)。

【次回の太論は?】
いよいよ次週は皐月賞ウィークです。そのトライアルやステップレースでは、毎週のように悪天候に見舞われ、道悪競馬が続きました。そこで次回は、皐月賞の舞台、中山2000mについて、さらに道悪競馬の極意について、太論をうかがいます。
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太論 / 小牧太
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1967年9月7日、鹿児島県生まれ。1985年に公営・園田競馬でデビュー。名伯楽・曾和直榮調教師の元で腕を磨き、10度の兵庫リーディングと2度の全国リーディングを獲得。2004年にJRAに移籍。2008年には桜花賞をレジネッタで制し悲願のGI制覇を遂げた。その後もローズキングダムとのコンビで朝日杯FSを制するなど、今や大舞台には欠かせないジョッキーとして活躍中。

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