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“近代の象徴”オークス&ダービー

  • 2012年05月19日(土) 12時00分
 今週はオークス、来週はダービー。競馬が最も光り輝く季節を迎えました。

 ご存知のとおり、どちらもイギリスの競馬を模して創設されたレース。本家のオークスは1779年、ダービーは翌1780年に始まりました。今年はじめの当コラムで、「日本の近代競馬150周年」にちなんで150年前の歴史を掘り起こしてみましたが、今回は本家のオークス、ダービーが創設された頃の時代背景を探ってみたいと思います。

 当時のイギリスは、産業革命とアメリカ独立戦争の真っ直中。そのうち、産業革命の基軸にあったのが、繊維業と製鉄業の発達です。折しも1779年には、それまでの繊維業の生産性を大いに向上させるミュール紡織機が登場、世界最初の鋼鉄橋・コールブルックデール橋(通称アイアンブリッジ)が架橋(両端から建設された橋のアーチが中央部で結合)という象徴的な出来事がありました。

 一方、1775年から始まったアメリカ独立戦争は、1778年のサラトガの戦いでアメリカ植民地軍がイギリス軍を降伏させ、大きな転換点を迎えた直後。これをきっかけに1778年にフランスがアメリカ側に付いて参戦。1779年にはスペイン、1780年にはオランダも加わって、イギリスを退潮へ向かわせる連携体制が整っていきます。

 また、ちょうどこの頃、イギリス人のジェームス・クック(キャプテン・クック)が3度にわたって太平洋への航海を敢行ししています。1770年にはヨーロッパ人として初めてオーストラリア大陸東海岸に到達。そして1778年にはハワイ諸島にまで達しました。1779年は、クックがそのハワイで先住民との間のトラブルにより殺害された年。これも、1つの歴史の転機と言えます。

 音楽史の中では1756年生まれのモーツァルトの時代。彼が6歳の時に御前演奏を聴いたオーストリアのマリア・テレジア女大公は1780年に死去。彼女の娘のマリア・アントニーアは1770年にフランス王太子ルイと結婚、マリー・アントワネットと称されるようになり、1774年に夫がルイ16世に即位したのに伴い、王妃となりました。この2人がフランス革命の末に処刑されるのは1793年のことです。

 オークス、ダービーが創設された頃のイギリスは、産業革命の効果で経済的に好調のピークにあり、世界をリードする存在だったわけです。そういう状況が、アメリカの独立やフランスの革命などで徐々に変化を見せ始めていくのもちょうどこの頃。別の言い方をすれば、太平洋地域の全貌がほぼ明らかになり、アメリカが独立して、今の形に近い世界地図が作られ始めた頃とも考えられます。西洋史学では、近世から近代へと移行する時期に位置付けられています。

 オークス、ダービーは、近代競馬とともに世界中に広まっていきました。2つのレースは世界史的に見ても“近代の象徴”と言えそうです。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

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