先週の当コラムは、「本家イギリスのオークス、ダービーはどんな時代に誕生したか」がテーマでした。その締めくくりに「2つのレースは近代の象徴」と書きました。イギリスのオークス、ダービーを模したレースが、近代競馬の発展に伴い、世界中で行われるようになったからです。
ただし、オークスは牝馬限定戦なので、一国の競馬の最高峰レースと言えば、やっぱりダービーということになるでしょう。
でも、ダービーが創設されたのは1780年。それより前の1776年に、セントレジャーステークスが創設されています。競馬シーズンが終盤を迎える秋に実施される、牡馬も牝馬も(創設当時はせん馬も)出走できるレース。世代ナンバー1を決めるにはふさわしい体裁を整えています。後にこれが、世界最古のクラシック競走と言われるようになったわけですから、こちらを模したレースが世界中に広まっていってもおかしくなかったのではありませんか。言い換えれば、なぜ、ダービーが最高峰レースとして世界中で行われるようになったんでしょうか。
セントレジャーの距離が長すぎた、というのは理由にならないはず。今でこそ2000メートル未満のレースが盛んに行われるようになっていますが、ダービーが世界に広まっていったのは、まだまだ長距離のレースが主流だった時代です。ちなみに、ダービーの距離が約1マイル半となったのは1784年の第5回から。それまでは約1マイルのレースだったそうです。
それより何より、ダービーが、ジョッキークラブの会長、チャールズ・バンベリー卿と彼を取り巻く人たち(その中に、レース名の元となったダービー卿がいた)によって創設されたことが大きかったような気がします。
ジョッキークラブは、1750年に設立された“競馬好き仲間の寄り合い”。これがやがて、イギリスの競馬を統括する機関に発展していきます。つまり、ジョッキークラブ草創期のメンバーがダービー(とオークス)を創設したことで、競馬の統括機関とその基幹レースとがセットになったわけです。これを他国の競馬が範としたために、ダービーが世界中に広まっていった、と思われます。
さらに、開催時期が春というのもよかったのではないかと考えられます。第1回のダービーは1780年5月4日に行われました。寒い冬が過ぎて“待望”の春が来れば、その到来を告げる風物詩がほしくなるもの。ダービーは、回を重ねるにつれて、イギリス人にとってそういう位置づけの国民的イベントに育っていったようです。だからこそ、他国の競馬主催者からは際立ったレースに見えたはず。これも重要な要素でしょう。
今回の話はあくまでも現時点での私見。さらに詳しく分析すれば、他の理由も見つかると思います。なにはともあれ、今週は日本ダービー。大いに楽しみましょう!