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第11話 再会

  • 2012年08月13日(月) 18時00分
▼前回までのあらすじ
福島県南相馬市の小規模牧場・杉下ファームは、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われた。代表の杉下将馬が救い出した「シロ」という愛称の繁殖牝馬は牧場に戻って牡の仔馬を産み、息絶えた。直後に原発事故が起きたため、将馬は仔馬を連れ、相馬の神社に避難した。仔馬は「キズナ」と名付けられた。7月、美浦の大迫調教師とともに訪れた馬主の後藤田が1億円の高値でキズナを購入した。8月末、キズナは後藤田が所有する北海道の牧場へと旅立って行った。

『再会』

 キズナが北海道に旅立ってから3か月が経とうとしていた。11月下旬の相双地区は最低気温が氷点下になる日もあり、海辺を吹き抜ける風は冬の冷たさである。

 将馬は、相馬の馬のいる神社を拠点とするNPO法人の仕事をつづけていた。イベントに貸し出される馬の世話をしたり、ホースセラピーをする獣医を手伝ったりすることもあったが、最も忙しかったのは、馬と一緒におさまる写真を撮るカメラマンとしての仕事だった。それが11月15日の七五三の撮影で一段落したので、休みをとって、キズナに会いに北海道に行くことにした。

 仙台空港まで、田島夏美がクルマで送ってくれた。

「杉下君、嬉しそうだね」

「はい、キズナに会えると思うと目が冴えて、夕べはほとんど眠れませんでした」

「向こうに行ったまま、帰ってこなかったりして」

「キズナが?」

「いや、杉下君よ」

 前髪を短く切ったせいもあるのかもしれないが、年上の夏美が、いつになく幼く感じられた。

「ぼくはほかに行くところがないので、またここに戻ってきます」

「ならいいけど」

 と夏美は背中を向け、そのまま右手を挙げてロビーから出て行った。

 札幌行きの飛行機が離陸した。眼下にひろがる眺めに、胸を鈍器で叩かれたような衝撃を受けた。

 数年前に見た眺めとはまったく異なる、荒涼たる風景がそこにあった。津波にさらわれた一帯は壊滅状態だった。瓦礫はほぼ撤去されていたが、綺麗になったぶん、かえって空虚さが恐ろしく感じられる光景であった。

 新千歳空港でレンタカーを借り、日高町のGマネジメントを目指した。

 出迎えてくれた小山田という担当者は、将馬とそう年齢が変わらないように見えたが、名刺にはイヤリング部門マネージャーとある。年功序列ではなく、徹底した能力主義をとっているらしい。

 瀟洒な洋館のような牧場事務所から、道を挟んだ向かい側に、離乳した当歳馬が翌年馴致を始めるまで過ごす、イヤリングの厩舎と放牧地があった。

「このなかにいます」

 小山田は、20頭ほどの当歳馬が放されている放牧地に将馬を案内した。

「キズナは……?」

 どういうわけか、放牧地の真ん中に20頭ほどが会議でもするように集まっている。こちから見えるところに芦毛馬は一頭もいない。

「お、来るぞ」

 小山田は口元に笑みを浮かべた。

 集まっていた馬たちが揃って顔を上げた。馬たちの輪の真ん中に切れ目ができ、それが少しずつひろがり、群れが完全にふたつに分かれた。

 その真ん中にできた道を、小さな芦毛馬がゆっくりと、こちらに向かって歩いてくる。

 キズナである。

「あいつ、ひょっとして……」

「気づきましたか。ここに来て3日目には、もうボスになっていました」

 キズナが群れの間にできた道から完全に抜け出すと、ほかの馬たちが後ろからぞろそろとついてきた。

「相馬にいたときは、どちらかというと、いや、誰がどう見てもおとなしい馬だったんですが」

「今もおとなしいですよ。特に人間に対しては従順というか、見ていてハラハラするぐらい、何をされても受け入れます。ところが、ほかの馬におかしなことをされると、しばらくは無視しているのですが、突如として豹変するんです」

「豹変?」

「そう、文字どおり、ヒョウのようにしなやかな動きで相手を叩きのめす」

 喜んで将馬のもとへ駆けてきて顔を寄せ、グーッと鳴くシーンを思い浮かべていただけに、妙な気分だった。

 キズナは、山桜の根元に立つ将馬の目の前まで来て、立ち止まった。

 体はひと回り大きくなっているが、牧柵越しに見る顔は、3か月前のままだ。まっすぐな鼻梁、引き締まった口元、そして強い意志を感じさせる深い色の瞳。

「キズナ……、キー太郎」

 と将馬が右の手のひらを差し出すと、キズナは匂いを確かめるように鼻を寄せた。そのまま顔を撫でてやろうとしたら、キズナはくるりと反転し、放牧地の奥へと群れを引き連れて歩いて行った。

「子分たちの手前、杉下さんに甘えるわけにはいかないと思ったんじゃないですか。あれが彼なりの、精一杯の挨拶です」

 小山田の言葉を聞きながら、ずっとキズナを見送ったが、キズナは一度も将馬のほうを振り向かなかった。

「やはり競走能力の高い馬がボスになることが多いのですか」

 将馬が訊くと、小山田は十数頭の競走馬の名をすらすらとそらんじた。

「ここでボスだった馬たちです。GIを勝った馬もいれば、未勝利や500万で終わった馬もいる。競走能力と統率力はまったく無関係ではないようですが、両者が必ずしも一致するとは限らない」

 それはさておき、若く見える小山田が10年以上前にデビューした馬の当歳時の様子を知っているのが不思議だった。そんな将馬の思いを察したように小山田がつづけた。

「ぼくはこの近くで生まれたのですが、子供のころから若駒を眺めるのが好きで、群れのボスが競走馬としてどれだけ走るかに興味を持っていたんです。仲間には変わり者扱いされましたが、噂を聞きつけた後藤田会長がこうして拾ってくれたおかげで、どうにか食えています」

「キズナはどうでしょう」

「ぼくの見立てが当たる確率は半々ですが、それでも聞きたいですか」

 と言った小山田の口元から笑みが消えていた。

「いや、やめておきます」

「それがいい」

 と小山田は群れに目をやり、キズナと同じ放牧地にいるすべての馬の血統や性格、病歴などを教えてくれた。

 ほら、あの右トモを引きずっているやつ……といったように、将馬の目にはわからない動きを含め、一頭一頭の細部まで把握している彼は、特殊技能を持ったスペシャリストというより、ある種の天才に思われた。

 その小山田が、別れ際に言った。

「キズナはきょう杉下さんと再会して、自分が捨てられたわけではない、ということを理解したはずです。それによって、また少し、成長できたと思います」(次回へつづく)

▼登場する人馬
杉下将馬…杉下ファーム代表。前年牧場を継いだ23歳。
田島夏美…将馬の高校時代の先輩。馬を扱うNPO法人代表にして、由緒ある神社の禰宜。
キズナ……震災翌日に生まれた芦毛の当歳牡馬。父シルバーチャーム。
ブライトストーン…キズナの母。愛称シロ。父ホワイトストーン。
大迫正和……美浦トレセンのカリスマ調教師。
後藤田幸介……大阪を拠点とする大馬主。日高町に生産・育成牧場「Gマネジメント」を所有する。
小山田……Gマネジメントのイヤリング部門責任者。

※この作品には実在する競馬場名、種牡馬名などが登場しますが、フィクションです。予めご了承ください。
※netkeiba.com版バナーイラスト:霧島ちさ

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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