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第21話 ライバル

  • 2012年10月22日(月) 18時00分
▼前回までのあらすじ
福島県南相馬市の杉下ファームは、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われた。代表の杉下将馬が救い出した牝馬は牧場に戻って牡の仔馬を産み、息絶えた。仔馬は「キズナ」と名付けられた。キズナは、美浦の大迫調教師とともに訪ねてきた馬主の後藤田によって1億円で購入された。キズナは、かつての一流騎手・上川を鞍上に迎え、2歳初夏のデビュー戦を勝った。

『ライバル』

 代表質問として、民報のアナウンサーが束ねたマイクを上川に向けた。

「期待馬のキズナ、前評判どおりの強さでしたね」

「はい。思っていた以上でした」

「この馬のよさはどんなところですか」

「いろいろありますが、新馬のなかで突出しているのは、フットワークがしっかりしていて、自分でスピードのコントロールができるところですかね」

 上川がまともな受け答えをするので、アナウンサーが戸惑っているのがわかった。前にこの男にレース後の生放送でマイクを向けられたとき、「インタビューは同意を求める形じゃなく、疑問文にして訊け」だとか「見ればわかることを質問するんじゃねえ」などと言ってしまい、インタビューが打ち切られたことがあった。

 そろそろ、いつもの調子に戻ってやろうかと思っていると、アナウンサーが質問をつづけた。

「レースを振り返っていただきたいのですが、まず、パドックで跨った印象は?」

「それは言えないなあ」

「……なぜ、でしょうか」

「もし、おれがここでキズナについて話したことをライバル陣営が参考にして戦術を組み立てたせいでダービーを獲りそこねたら、お前、責任とれるか?」

「それは……」

「おれに責められるだけならいいけど、この馬のオーナーは怖えぞォ」

「……」

「なーんてね。まあ、それくらいの馬だということ。おれは今落ちぶれて1.5流の騎手になっちまったけど、これまでGIを……いくつ勝ったんだっけな」

「11です」

額に玉のような汗を浮かべたアナウンサーが補足した。

「そうか。GIを11勝したけど、ダービーには手が届いていない。でも、キズナはハッキリとおれに東京芝2400メートルのゴールを意識させてくれた。お前らラッキーだよ。来年のダービー馬を目撃できたんだから」

 メモをとっていたほかの記者たちが一斉に顔を上げるなか、アナウンサーがつづけた。

「上川さんはダービーで2着と3着が2回ずつありますが、それらの馬を上回るものを感じた、と」

「負けた馬とは比べないよ。キズナに乗りながら浮かんできたのは、おれの馬を負かしたダービー馬たちのイメージだ」

「では、10度目のチャレンジが実を結ぶか、楽しみになりましたね」

「10度目?」

「もし来年のダービーに出るなら、上川さんにとって10度目の参戦になります。さて、話は変わりますが、福島競馬場にこれだけのお客さんが集まりました。被災地の期待を背負っていることを意識されたのでは」

「そりゃあ、もちろん。だけど、震災から2年以上経っているのに、いまだに被災地という言葉が使われているし、キズナだって被災馬と言われているわけだろう。それ、おかしいと思わないか。どうなんだ、いわゆる被災地と呼ばれる地域に住んでいる人たちは、今でもそういう意識でいるのかな」

「復興がなかなか進まないので、忘れてほしくない、と思っている方が多いようです」

「お前、それ誰かに訊いたのか」

「はい、取材しました」

「そうか。まあ、でも、福島生産のサラブレッドってのは珍しいんだろう」

「この世代で登録されているのはキズナだけです」

「だから、被災地のっていうより、南相馬の、福島の期待を背負って天下を獲る、っていう感じで見てほしいよな。ま、こんなところでいいか」

「はい、ありがとうございました」

 記者たちが引き上げてから、「おい」と上川がアナウンサーを呼び止め、

「きっちり下調べしてくるのはいいけど、人間同士は頭じゃなく、ここでやりとりしないと、肝心なことは伝わらねえぞ」

 とアナウンサーの胸をドンと叩いた。

「前にも同じことを言われました」

 と笑う彼の額に、もう汗はなかった。

「そうか」

「はい。もうひとつ。自分のフォームを崩すな、とも」

「おれ、そんなこと言ったか?」

「ぼくにではなく、ほかの社のアナウンサーにですが。ぼくは、このフォームで行ってみます」

「勝手にしろ」

 言いながら、前に彼の胸を小突いたときのことを思い出した。よろめいて眉を下げた顔は子供のようだったが、今、上川の右手にはコンクリートの壁を叩いたような感触が残っている。周りはどんどん強くなる。うかうかしていると自分だけ取り残されてしまうという、焦りのような感情が胸の底で渦巻いているのを感じた。

「上川さん、来月、関屋記念に乗りに行きますか」

「一応、騎乗馬はいるけど、なんでそんなことを訊く?」

「その日の芝1800メートルの新馬戦に、藤川厩舎のマカナリーという馬が出ます。ディープ産駒です」

「だから?」

「あの馬が来年、キズナの最大のライバルになると思います。たまにはデータオタクの言葉にも耳を傾けてください」

 そのときは聞き流していたのだが、8月になると、彼の言葉が自然と思い出された。新聞でテレビでも、「期待の大物」として連日マカナリーがとり上げられたからだ。

 去年14戦全勝で引退するまで世界中を沸かせた最強馬フランケルと同じように、藤川調教師が敬愛するアメリカの調教師にちなみ、「マカナリー」と名づけられた。

 マカナリーのライバルとしてキズナにスポットを当てた媒体もあったが、それはごく少数だった。不動の「超一強」というムードで、まだデビューもしていないのに、翌年の凱旋門賞参戦の可能性を云々する者まで出てきた。

 上川は、「怖がりなので逃げてくれ」と調教師に指示された馬で、その新馬戦に参戦した。

 上手くスローに落とし、後ろをじわっと引きつけながら4コーナーを回った。新潟の直線は659メートル。日本一の長さだが、平坦なので、この手応えなら一発ありそうだ――とハミを詰めた刹那、背筋が寒くなるような気配を感じた。

 外からマカナリーが並びかけてきた、と思ったら、あっと言う間に3、4馬身離されていた。上川の馬も水準以上の力の持ち主で、確実にラスト3ハロン34秒台の脚を使っているにもかかわらず、であった。

 ――化け物が出てきやがった。(次回へつづく)

▼登場する人馬
上川博貴……かつてのトップジョッキー。素行不良で知られる。
キズナ……震災翌日に生まれた芦毛の2歳牡馬。父シルバーチャーム。
大迫正和……美浦トレセンのカリスマ調教師。
後藤田幸介……大阪を拠点とする大馬主。
藤川……GIをいくつも勝っているリーディングトレーナー。
マカナリー……藤川が管理する有力新馬。
杉下将馬…杉下ファーム代表。2010年に牧場を継いだ20代前半。
内海真子……大迫厩舎調教助手。安藤美姫に似ている。

※この作品には実在する競馬場名、種牡馬名などが登場しますが、フィクションです。予めご了承ください。
※netkeiba.com版バナーイラスト:霧島ちさ

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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