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第22話 KM対決

  • 2012年10月29日(月) 18時00分
▼前回までのあらすじ
福島県南相馬市の杉下ファームは、2011年3月11日の東日本大震災で津波に襲われた。代表の杉下将馬が救い出した牝馬は牧場に戻って牡の仔馬を産み、息絶えた。仔馬は「キズナ」と名付けられた。美浦の大迫調教師とともに訪ねてきた後藤田オーナーによって1億円で購入されたキズナは、かつての一流騎手・上川を鞍上に迎え、2歳初夏のデビュー戦を勝った。翌月、強力なライバルになりそうな馬が新馬勝ちした。

『KM対決』

 デビュー前から「世代最強」の呼び声が高かったマカナリーは、2着に逃げ粘った上川の馬に大差をつけて新馬戦を勝った。

 父がリーディングサイアーという血統、海外でもGI勝利のある厩舎、日本最大手のクラブ法人馬主、そして期待のホープ、三好晃一が鞍上と、翌年のクラシックで主役を張るにふさわしい要素が揃っている。

 ラスト1ハロンはほとんど追われていなかったのに、従来のそれを大幅に更新するレコードでゴールを駆け抜けた。

「三好君にGIを勝たせてあげようと思って依頼しました」

 レース後、囲み取材に応える藤川調教師の声が聞こえてきた。

 検量室前で上川が長靴についた汚れを洗い流していると、横に三好が来て、

「キズナとどっちが強いですかね」

 と笑顔を見せた。この人懐っこそうな笑みの下に、したたかさを隠している。デビューした5年前、21年ぶりに新人最多勝記録を更新して注目された男だ。若くして「天才」ともてはやされたところは上川と同じだが、キャリアは対極的とも言える。上川が100勝にひとつ以上の割合でGIを勝っているのに対し、三好は史上最速のペースで通算100勝、200勝を達成しながら、いまだGI勝ちはない。それでも彼は、ここ数年、勝ち鞍も連対率も上川を大きく上回っている。

「お前はどう思っているんだ」

 上川が訊き返すと、

「わからないから質問しているんです」

 と三好は笑顔のまま言った。

「そのうちわかるさ」

「はい、藤川先生もそう言っていました。次走で対決するから、どっちが強いかすぐにわかる、と」

「どういう意味だ」

「言葉どおりです。先生は、キズナが次に使うレースにマカナリーを出走させるつもりでいるようです」

 そう言って三好は笑みを消した。

 翌日のスポーツ新聞各紙には、「伯楽の宣戦布告」「超良血エリート対悲運の被災馬」など、キズナとマカナリーの「KM対決」をあおる見出しが並んだ。

 そのうち一紙に、両馬の血統、完成度、馬体、距離適性、気性、厩舎、騎手、馬主などの比較表が掲載された。5点満点で、厩舎はどちらも満点の評価だったが、騎手は三好が5点、上川は3点になっている――という話を聞いた上川が大迫厩舎の大仲に行くと、その記事が載った新聞がめちゃめちゃに切り裂かれ、宙を舞っていた。

「この点数、誰がつけたの!?」

 内海真子が、その社の男性記者の胸ぐらをつかんでいた。

「い、いや、デスクが……」

「今すぐここに呼んできて! いや、わたしが行くわ」

 と振り返った彼女と目が合った。

「お前、何をやってるんだ」

 上川が言うと、彼女は記者から手を離した。

「上川さん、悔しくないんですか」

 よくもこれだけ出てくるものだと感心するぐらい、真子の目から涙が溢れてくる。

「悔しがるつもりだったんだが、お前が切り刻んだせいで、読めないじゃないか」


 と、床から紙片を拾い、比較表の「騎手」のところを探した。

「これか。上川博貴3点。大舞台での強さに定評があるもブランクが難点、か。そのとおりだ。なあ?」

 と記者を見ると、彼はバツが悪そうに目を伏せた。

 横にいた他社の記者が上川に訊いた。

「先ほど大迫先生にうかがったところ、キズナの次走は11月の東京スポーツ杯2歳ステークスになるとのことですが、もうご存知でしたか?」

「ああ、さっき聞いたよ」

「どう思います」

「どうもこうも、こっちは与えられた条件でやるしかない立場だし、そもそもお前ら、評価3の騎手に話を聞いてどうするつもりだ」

 という上川の言葉が聞こえなかったかのように年配の記者が訊いた。

「キズナはどんどん連勝していくタイプだと?」

「と思うよ」

「藤川先生も三好君も、無敗にこだわりたいって言っていたけど、それについては?」

「例年ならタイトルを総なめにできただろうに、同じ年に生まれて不運だったね、マカナリーは」

 上川がそう言うと、記者がニヤリとした。

「それは勝利宣言?」

「どうとってもらってもいい」

 いつの間にか真子の姿が見当たらなくなっていた。

 記者たちと厩舎スタッフが引き上げたあとも上川は大仲に残り、競馬週刊誌を読んで時間を潰した。ジムに行く前に顔を見ようとキズナの馬房を覗いたとき、驚いて声が出そうになった。

 馬体を横にしたキズナの首に両腕を巻きつけて、真子が眠っている。

 キズナがそっと目をあけ、彼女を起こさないよう上川に注意するかのように、またそっと目をとじた。

 ――相手は化け物だが、お前ならそう簡単にはやられない。その娘のためにも頑張れよ。

 胸のなかで言うと、キズナはまたゆっくりとまばたきした。(次回へつづく)

▼登場する人馬
上川博貴……かつてのトップジョッキー。素行不良で知られる。
キズナ……震災翌日に生まれた芦毛の2歳牡馬。父シルバーチャーム。
大迫正和……美浦トレセンのカリスマ調教師。
後藤田幸介……大阪を拠点とする大馬主。
藤川……GIをいくつも勝っているリーディングトレーナー。
マカナリー……藤川が管理する有力新馬。
三好晃一……マカナリーに乗る若手騎手。
杉下将馬…杉下ファーム代表。2010年に牧場を継いだ20代前半。
内海真子……大迫厩舎調教助手。安藤美姫に似ている。

※この作品には実在する競馬場名、種牡馬名などが登場しますが、フィクションです。予めご了承ください。
※netkeiba.com版バナーイラスト:霧島ちさ

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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