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みんなの投稿コラム

現代の名工 装蹄師 故福永守氏の伝説

  • 2013年07月23日(火) 22時37分
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昨日、名装蹄師の福永守氏がお亡くなりになりました。
近年はほとんど表立って動いていなかった(実際はそうではない)ので知らない方も多いかもしれない。
今回はそんな氏の様々な伝説を箇条書きながら紹介したい。

・平成4年の段階で現代の名工の称号を得たのは競馬会で福永守氏のみ(たぶん今でも)
・タヤスツヨシが屈腱炎で引退後、北海道に帰る前に福永氏の装蹄を受けるためだけに広島へ迂回して北海道へ。
・自分に合った蹄刀類を自分で作るためだけに刀鍛冶屋に弟子入りした。
・若かりし頃はまだ日本に装蹄の技術があまり広まっていなかったため、屠殺場に入り浸り馬の体の構造(筋肉血管や腱の仕組みなど)を研究し尽くした。
・結婚して間もない頃は自宅の小屋に馬の脚数十本ぎっしり並べ、それぞれの脚に合った装蹄の研究をしていた。
・脚は腐ってくるため、妻は防ぐために脚の表面を焼いて腐敗を防いでいた。
・昭和35年の東京ダービー(当時の名称は春の鞍)を勝つセイショウは蹄骨を骨折し屠殺寸前のところを福永氏の研究材料として助けられ、万全の装蹄を施し福山競馬場でデビューさせた。
・デビューから圧勝を繰り返し、自身のレコードを更に更新する圧倒的強さで勝ちまくり南関東に移籍した後に18連勝目で上記のレースを制する。
・自分の装蹄を担当する馬を管理する調教師に「当てエビ」と言われるも納得できず、本当に当てエビでこうなるのかと別の馬の脚を棒で強く殴り同様の症状が出てくるか経過観察した(結果当てエビでないことが分かり、専門書に記載されていた当時の常識が覆された)

まだありますが、とりあえずここまで。
ちなみに上述した情報のソースは96年の競馬王からです。

趣味で馬に乗る人です。馬場より障害が好き。やってみたいのはエンデュランス。

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