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江田照男騎手(2)『騎手を続けるのはもう無理かなと』

  • 2012年11月12日(月) 12時00分
“穴男”江田照男騎手、デビュー1年目に重賞制覇&関東新人騎手賞受賞、デビュー2年目には10代でのGI制覇と華々しい活躍を見せていました。しかし、まさかのトラブルから騎手を辞めることも考えたという…。江田騎手の知られざる騎手人生に迫ります。(11/5公開Part1の続き)

赤見 :話は遡りますが、江田騎手のデビュー当時って、1年目で重賞を勝って、2年目にGI勝利…ものすごい成績をあげられていましたよね。今の新人君からしたら、夢のような話。

江田 :そうかもしれない。すごく恵まれた環境に、自分がいられたということでしょうね。まあ、最初の頃というのは、がむしゃらに乗っていたような気がします。アピールしないと乗せてもらえないという気持ちがあったので、どうやって自分を売り出すかを考えてね。

赤見 :その頃のアピールというのは、どんなふうにされたんですか? この時から全身ピンクの調教スタイルだったとか!? このお話、前々からお聞きしたかったんです。

おじゃ馬します!

一目で分かる調教スタイル

江田 :あぁ、格好ね(笑)。いつから着てたかな? ちょっと覚えてないな。

赤見 :やっぱり、調教でもアピールしたいという?

江田 :それも多少はあったけど、厩舎に所属している時に、調教中に自分がどこにいるかわかるようにと思ってね。やっぱりみんなと同じような格好だと、自分がどこで乗っているか、調教師とか厩務員が探しづらいから。「目立つような格好をしておけ」っていうのも、言われたしね。

赤見 :本当、一目でわかります。

江田 :でしょ! 今はみんな、黒い服とかジーパンが多いからさ。だから新聞社の人も大変だよね。「今の誰だった?」ってなるから。それを考えれば、探しやすいのは一番いいんじゃないですか。

赤見 :あと、季節が寒くなっても半袖ですよね。あれもこだわりですか?

江田 :いや〜、誰も袖のある服をくれないんだよ(笑)。というか、寒い方が風邪引かないでしょ? 人間って汗をかくじゃないですか。夏場はいいけど、冬場は乾かないから、そのままにしておくと風邪を引くんですよね。だから、風通しを良くしてた方がいいかなって。

赤見 :ちょっと良すぎかなと思いますけど(笑)。美浦で、江田騎手とネコパンチの星野厩舎の助手さんが2大半袖王子ですよね。

江田 :もう1人いるの、知ってる? 3人なんだ。だから、それも3大なんだ(笑)!

赤見 :3大半袖王子でしたか(爆笑)。ちょっと話がそれましたが、もともと騎手を目指されたきっかけは何だったんですか?

おじゃ馬します!

今さら聞いてすみません(汗)

江田 :きっかけ…って、えっ、そこ? もう40歳になって、それを聞かれるのかと思うと(笑)。

赤見 :すみません(汗)。“江田騎手ヒストリー”として振り返りたいなと。

江田 :ああ、なるほどね。これは…まあ、書かれてもいいか(笑)。単純に、勉強をしたくなかったから。中学校の掲示板に競馬学校のポスターが貼ってあってさ、応募資格をクリアしてたので、願書を出したの。

赤見 :ご出身は福島ですよね? 競馬場もありますが、馬が身近だったんですか?

江田 :いや、馬はいなかったです。見たことはあったけど、触ったことはなかった。だって、馬って大きいじゃん。馬は危ないって思ってたよ。

赤見 :じゃあ、いきなり学校に入って馬乗りを?

江田 :うん。まあ、受かっちゃったから、しょうがないじゃない(笑)。あともう1つの理由は、うち貧乏だったから、家にいると親に負担がかかるでしょ。食費から何やらかかるから、早く家を出たかった。俺らの時は学費を全部競馬会が持ってくれたので、そういう意味では学校に行けて良かったんだけど、なんせ馬に乗ったことがないじゃないですか。本当、「いつ辞めよう…」と思って。だって、あんなデカイ動物が、人の言うことを聞くとは思わないからさ。「うわっ、こんな世界に入っちゃった…」って思っているうちに、いつの間にか騎手になっちゃったんだけどね。

赤見 :それでデビューしたら、成績がすごく良かったという。

江田 :そう。まあ、最初はうまく馬をコントロールできないというのはあったけど、学校生時代に実習でトレセンに来て、いろいろな馬に乗ったからね。やっぱり数を乗らないと、技術も上がっていかないから。当時は毎日、10頭以上乗ってたかな。

赤見 :中央で10頭以上って、かなり多いですよね。

江田 :うん。実習ノートに「今日は何に乗った」って馬の名前を書くんだけど、いつも書き切れなかったものね。俺はほとんど北馬場にいたんだけど、「おう、あんちゃん、空いてるか?」「はい、空いてます」「じゃあ乗ってくれ」って調教に乗ったことも結構あった。でも、1頭でも多く乗せてもらいたいと思っていたので、それが自分の財産になったというかね。すごく勉強になったし、「馬乗りが楽しい」って、自分を磨けた感じでした。

赤見 :そういう努力があって、デビューしてからの華やかな活躍があったんですね。1年目の夏にいきなり、14番人気のサファリオリーブで新潟記念を勝利。重賞騎乗2回目での勝利という。

江田 :でもね、この時は負けたと思ったよ。ハナ差の勝負だったから、「いや〜、負けたな」と思いながら上がってきて。そうしたら、検量室に自分の馬が1番って書いてあったので、「えっ? 勝ったの?」って思ってね。ただ、あれって、たまに変わるときがあるじゃないですか。だから、あんまり喜ばないで、「勝ってたらいいな」と思っていましたよね。

赤見 :そうだったんですね。最初の重賞勝利が14番人気というところが、さすがですよね。それで、次の年にGI初騎乗で制覇ですよ。プレクラスニーで天皇賞・秋を勝利。騎乗依頼が来た時はどんなお気持ちだったんですか?

江田 :(3走前の)晩春Sから乗せてもらったんだけど、ずっと乗っていた増沢末夫元調教師(当時騎手)がローカルに行くので乗れなくて、それで乗せてもらう形になってね。(管理する)矢野照正先生が、自分のことをすごく可愛がってくれていたのもあってだよね。もちろん、それまでの競馬を見ていので、「こういうタイプの馬だな」というイメージはしていました。で、その晩春Sを勝てたので、次のエプソムCでもチャンスをもらったんだよね。

赤見 :そのエプソムC、次の毎日王冠と重賞連勝で、GIに挑んだわけですけど、この時は3番人気でしたね。

江田 :この時は、直前まで雨が降っていて、馬場が悪くてね。調教師からは「こういう馬場だし、ハナに行って競馬をすればいいから」という指示だったんです。で、(メジロマックイーンの)降着もあって、1着になったんだけどね。

赤見 :江田騎手にとって、初めてのGI騎乗で、しかも10代での勝利という快挙。これは大きな財産になったんじゃないですか?

おじゃ馬します!

有馬記念が心残りです

江田 :うん。というか、自分の中で、「オープン馬というのはこういう馬なんだ」という気持ちを作った馬なんだよね。オープン馬は他の馬よりも勝るものがあるわけで、能力もそうだし、あとは気持ちですよね。馬同士で「この馬には負けない」という勝負根性がないと、絶対に勝てない。この馬は、そういう勝負根性がすごくある馬でした。そういう意味で、すごく勉強させられた1頭ですよね。まあ、次の有馬記念(4着)がね、この馬に乗った中で、一番下手くそに乗ってしまったので。それがちょっと心残りです。

赤見 :プレクラスニーはその後、脚部不安で引退。またそれと重なって、その頃ご自身の勝ち星も停滞気味に。ジョッキーとして辛い時期だったのかなって思うのですが?

江田 :そうね。その成績が落ちている時、すごく腰が痛くてね。競馬の姿勢を取っているのも辛かった。

赤見 :えっ。腰って、騎手にとって一番重要なところ…。

江田 :うん。競馬に乗ってると、腰の痛みから足がしびれてくるの。そういうところまでいったので、「(騎手を続けるのは)もう無理かな」と思っていましたね。(Part3へ続く)

◆次回予告
“騎手引退”まで考えたという、突然の体の不調。腰の痛みは、騎手にとって大きな痛手。この局面を、江田騎手はどうやって乗り越えたのか。次回は、そんな江田騎手の騎手魂から、記憶に新しいネコパンチの日経賞の舞台裏、レース後涙を流したという忘れられないレースに迫ります。

◆江田照男
1972年2月8日生まれ、福島県出身。同期は村山明(現調教師)など。90年に美浦・田子冬樹厩舎からデビュー。同年の新潟記念を、14番人気のサファリオリーブで制し重賞初勝利。重賞騎乗2戦目での勝利は当時の最速記録。また、同年は関東新人騎手賞を受賞。翌91年にはプレクラスニーで天皇賞・秋を制覇。1位入線のメジロマックイーンの降着があったが、デビュー2年目でのGI勝利という快挙を達成した。その後、00年のスプリンターズSを16番人気のダイタクヤマトで逃げ切るなど、大舞台で多くの波乱を演出。「穴男」の異名でファンに親しまれている。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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