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渡辺薫彦元騎手(2)『“さわやか”幸英明騎手…実は!?』

  • 2013年01月14日(月) 12時00分
競馬学校第10期生として、1994年にデビューした渡辺薫彦騎手。同期には幸英明騎手、吉田豊騎手など、第一線で活躍するトップジョッキーたちがいます。今でも同期会をするほど仲が良いというメンバー。その裏の顔を、少しだけ暴いていただきます。(1/7公開Part1の続き)

おじゃ馬します!

「騎手生活19年でした」

:振り返って、騎手生活19年ですか。

渡辺 :19年ですね。

:騎手になったきっかけというのは?

渡辺 :きっかけは…自然の流れですね。

:自然の流れ(笑)。でもたしかに、お父様が厩務員さんで、弟さんが持ち乗り助手さんという競馬一家ですから、将来は競馬の世界へという環境が整っていますよね。

渡辺 :そうなんですよね。だから、「絶対に騎手だ」と決めていたわけではなくて、厩務員や調教助手など、馬に携わる事ができる競馬関係の仕事をしたいなと思っていたんです。そういう中で、たまたま体格的にも恵まれていましたし、騎手を目指しました。

:騎手に限定しないで、競馬に関われる仕事というところがポイントだったんですね。

渡辺 :そうですね。まあ、その辺がある意味、僕の騎手人生としての甘いところだったのかなって、今となっては思うのですが…。

:ご自身ではそう思われているんですね。渡辺さんが長い騎手人生で一貫してこられたのが、デビュー以来ずっと沖芳夫厩舎の所属でやってこられたというところ。競馬学校時代のトレセン実習も含めたら、20年以上のご関係ですもんね。出ようと思われたことはないんですか?

渡辺 :ないです。1度もないですね。先生がどう思っていらっしゃったかは分からないですけど。「出ていったらいいのに…」って、思われていたかもしれないですね(笑)。

:あはは(笑)。でも、今の時代に珍しいですよね。みんなだいたいデビューして何年間かは厩舎に所属して、わりと早めにフリーになっていきますもんね。

渡辺 :そうですよね、そういう時代になってきていますからね。だからこそ、そういう師弟関係が薄れてきている時代の中で、僕のような所属の人間ががんばらなければいけないと思っていました。

:珍しい形でもずっと続けてきたっていう、ひとつの形を作ったっていうことでもありますよね。

渡辺 :先生が本当に素晴らしい方なんです。だから続けてこられたんだと思います。本当に、先生には良くしていただいています。

:絆の深さを感じます。記念の初勝利も、自厩舎の馬ですもんね。

渡辺 :そうなんです。ミスターハリケーンという、先生が用意してくださった馬でした。僕は同期で一番初勝利が遅かったんです。勝てたの、6月でしたからね(1994年6月26日)。勝てなくて、勝てなくて、だいぶ時間がかかってしまいました。それだけに、すごくうれしかったんです。

:焦った気持ちもあったでしょうし。

渡辺 :そうですね。だから、ホッとした感じがありましたね。

:同期って、幸英明騎手や、美浦の吉田豊騎手がいらっしゃいますよね?

渡辺 :競馬学校って、並び順が名前のあいうえお順だったんです。僕たちの期は全部で9人いて、「幸」「吉田」「渡辺」で7番8番9番。1年生の時は個室がもらえなかったので、3人で相部屋で、ワイワイやっていました(笑)。懐かしいですね。

:仲良かったんですね。

渡辺 :今でも仲が良いですよ。同期会もやっていますしね。

おじゃ馬します!

「吉田騎手はどんな方ですか?」

:吉田豊騎手って、どんな方なんですか? 美浦に所属されているので、あまり知らなくて。

渡辺 :何て言うか、ちょっと孤独なオーラがあると言いますか(笑)。一匹狼みたいなところはあるけど、すごくしゃべるし、男気溢れる感じですね。

:幸騎手は、渡辺さんと同じように温厚な感じですよね。

渡辺 :そうですね。でもある意味、腹黒いと言えば腹黒いところも(笑)。

:あ、それ聞いたことあります。幸騎手は「怒ったら怖い」と「腹黒い」って(笑)。

渡辺 :そうなんですよ、って、こんなふうに言ったら怒られるな(笑)。最初の印象が、ああいうさわやかな感じじゃないですか。だからそう言われるんだと思うんですけどね。それこそ、吉田とは違う男気がありますよ。

:幸騎手は九州男児ですもんね。みなさんそれぞれ濃そうですね。秘めた濃さがありそうです。

渡辺 :あはは(笑)。そうかもしれない。あとは、先ほどの話に出た石橋(守)先輩にも仲良くしていただいていますし、同期で障害に乗っている植野貴也とも仲が良いですね。

:植野騎手、マジシャンですよね!

渡辺 :そうそう、マジシャン。よく知っていますね〜。忘年会シーズンになると、あらゆる厩舎から声がかかるらしいです。乗ったことのない厩舎でも、「マジックしに来てよ」って頼まれるそうですよ。アイツとは、趣味もすごく合うんです。

:どういう趣味ですか?

渡辺 :あの…ひきこもり系の趣味です(苦笑)。ゲームとかですね。

:子供みたいですね(笑)。そういう話でいつも盛り上がっているんですね。ちょっと競馬の話に戻りますが、渡辺さんと言えばやはり、デビュー6年目で出会うナリタトップロード!「netkeiba.com」で渡辺さん引退のニュースを掲載した時に、ファンの方からたくさんの書き込みがあったそうなのですが、ナリタトップロードの名前を書かれた方が多いみたいですね。

渡辺 :そうでしたか。ありがとうございます。

おじゃ馬します!

産駒のベッラレイア(2007年フローラS)

:ナリタトップロードはどんな馬だったんですか?
※渡辺騎手とのコンビで1999年の菊花賞を優勝。2002年に引退し、種牡馬としてベッラレイア(2007年フローラS優勝、オークス2着)などを輩出。3世代を残し、2005年に死亡。

渡辺 :レースではすごく乗りやすい馬でしたね。普段の調教には僕は乗っていなかったんですけど、調教助手がよく落とされていたのは覚えています。

:結構荒いところもあったんですね。

渡辺 :そうなんです。あまり大人しい馬ではなかったですね。ヤンチャで、でもちょっと怖がりなところもあって…思い出すと、懐かしいですね。(Part3へ続く)

◆次回予告
テイエムオペラオー、アドマイヤベガとともに「三強」として1999年のクラシック戦線をにぎわせたナリタトップロード。渡辺騎手にとって、デビュー6年目で訪れた名馬との出会いでした。三冠レースすべてで主役が入れ替わるという白熱振りに、高まる周囲の期待と大きなプレッシャー。今だから語れる当時の胸の内を明かします。公開は1/21(月)12時、お楽しみに。

◆渡辺薫彦
1975年4月5日生まれ、滋賀県出身。1994年に栗東・沖芳夫厩舎所属で騎手デビュー。父は同厩舎の厩務員。同期は幸英明、吉田豊ら。1999年、きさらぎ賞を自厩舎のナリタトップロードで制し、重賞初勝利。以降同馬とのコンビで活躍し、同年の菊花賞を勝利。人馬共に初GI制覇を遂げた。2012年12月20日付けで騎手を引退。JRA通算成績は7262戦339勝、うち重賞10勝。引退後は同厩舎の調教助手となり、調教師を目指す。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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