2014年のJBC開催場が盛岡競馬場と発表された。盛岡での開催は第2回の2002年以来12年ぶり、干支がちょうどひとまわりしての2度目の開催となる。
JBCは、全国の競馬場を持ち回りで開催するとしてスタート。第1回が大井競馬場で、次に盛岡での開催となったのは、その施設の充実度を考えれば当然のことだった。
その後、大井で複数回開催されているのはともかく、名古屋や川崎でも2度開催されているにもかかわらず、盛岡での2度目の開催がなかったのは、やはり財政的に厳しいものがあったのだろう。
10年ひと昔というが、前回盛岡でJBCが行われてから現在まで10年ちょっとの間に、地方競馬でもさまざまなことがあった。
先日、安藤勝己騎手の引退が発表されたが、第2回のJBCが開催された当時、出場はしていないものの、安藤勝己騎手はまだ地方の騎手だった。そう考えると、何か遠い昔のことのようだ。その後の安藤勝己騎手の活躍はもちろん、続いた中から岩田康誠騎手、内田博幸騎手らは中央でもトップを争うほどになった。
昨年からはJRAのIPATで地方競馬の投票も可能になったが、これも10年前ではほとんど考えられないことだった。
JBCの盛り上がりとは対照的に、この10年ではいくつもの競馬場が廃止となった。地方競馬にとってはもっとも厳しい時代だったといえるかもしれない。
この間、岩手競馬にも2つの大きな危機があった。
まずひとつは、廃止という危機。2007年3月には、県知事からいったんは廃止の意向が伝えられた。しかし関係者やファンの存続へという強い思いが伝わり、土壇場での議会での採決で22対21というわずか1票差で存続を前提とした融資案が可決され、存続となった。
もうひとつの危機は、あらためて言うまでもなく東日本大震災だ。水沢競馬場のスタンドこそ大きな被害があったが、盛岡競馬場にはそれほどの被害がなく、しかし社会的な影響を考えれば競馬が続けられるかどうか、当初は誰にもわからなかった。それでも震災から約2か月後の5月中旬、しばらくは盛岡競馬場のみを使用しての競馬が再開された。
そうしたことを乗り越えての、12年ぶりとなる盛岡でのJBC開催だ。まだ1年以上先のことだが、おそらく震災からの復興ということも、ひとつのテーマになるのだろう。盛岡競馬場での2度目のJBC開催は、さまざまに想いの詰まったものとなるに違いない。