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戸崎圭太騎手(2)『先生の言葉を思い出し、反省していました』

  • 2013年03月11日(月) 12時00分
戸崎圭太騎手と川島正行調教師の深い師弟の絆。今回はお二人の軌跡をたどります。内田博幸騎手の中央移籍をきっかけに、川島厩舎の門戸を叩いた戸崎騎手。デビュー年はわずか4勝だった戸崎騎手が、南関競馬不動のトップに登り詰めたわけとは。(3/4公開Part1の続き)

赤見 :圭太さんは川島厩舎の主戦を務めてこられましたが、そうなったきっかけというのが、その前に主戦だった内田さんがJRAに移籍される時に、「よろしくお願いします」って川島先生のところに行かれたという?

戸崎 :はい、そうですね。

赤見 :その時はどんなお気持ちでした? 結構緊張されませんでしたか?

おじゃ馬します!

「川島先生は怖い存在でした」

戸崎 :緊張しましたね〜。やっぱりあれだけの先生ですからね。ある意味怖い存在でもありましたし、こちらから気軽に会話ができるような雰囲気ではなかったですからね。

赤見 :オーラもありますしね。

戸崎 :そうそう。だからその時は、“気をつけ”をしてビシッと姿勢を正して、「宜しくお願いします」って言った覚えがあります。でも、先生は優しい言葉をかけてくださって、優しく受け入れてくださいました。そんな先生の下でがんばって行きたいなと思いましたし、先生と一緒に地方競馬を盛り上げていけたらなと思いましたね。

赤見 :内田さんがJRAに移籍されるタイミングで「次(にトップを獲るの)は戸崎君だよ」というふうに川島先生がおっしゃっていましたけど、その時はどんなお気持ちでした? その時から「いつかは中央に」というのも?

戸崎 :いや、中央のことはその時はまだ全然考えていなかったですね。内田さんが移籍されて、今度は僕がたくさんの良い馬に乗せていただくようになったので、「僕が(トップを)獲らなければいけないな」という気持ちはありました。

赤見 :今ではもう“トップの戸崎ジョッキー”ですけど、内田さんが移籍された直後というのは、結構比べられたりもしたのかなと思うんですが?

戸崎 :内田さんとですか? う〜ん、その辺は周りの方がどう判断されていたのか分からないですけど、自分としては「まずは結果を出さなければいけない」という思いでしたね。

赤見 :じゃあ特にそういう意味でのプレッシャーというのはなかった?

戸崎 :まあそうですね。「まずは自分が、1つ1つのレースで最高の騎乗をしていかないとな」という気持ちでしたね。川島先生の後押しもあって、良い馬にたくさん乗せていただいて、重賞も勝つことができました。本当にいろいろな経験をさせていただいて学んでいくことができて、そのお陰で今の自分がいるんだなって改めて思います。

おじゃ馬します!

「川島先生に怒られた時は?」

赤見 :川島先生が、「今まで怒ることも結構あったから、嫌な思いもしたんじゃないかな」っておしゃっていましたが?

戸崎 :そうなんですか!? それは全然ですね。川島先生のおっしゃることは、本当に勉強になることばかりでしたので。家に帰ってから、その言葉を思い出して反省していました。だから、怒られて嫌だと思ったことはなかったですね。

赤見 :全部素直にスッと入って来る? 反抗期はなかったんですか?

戸崎 :反抗期は…もっと若い時だったらあったのかもしれないですけど、多少なりとも大人になっていましたしね。

赤見 :そういう意味では、デビューしてからしばらくというのは、今の圭太さんから比べるとちょっと違うじゃないですか。デビューした時から初めて重賞を勝つまでに少し時間もかかっていますし、その頃は気持ちの葛藤も大きかったですか?

戸崎 :う〜ん、やっぱり、自分に腹が立っていましたね。そういうことはたくさんありました。その中で身近にいた人達に迷惑をかけてしまった部分もあったと思うんですけど。悔しいことはたくさんありましたね。

赤見 :例えばどんなことで腹が立っていたんですか?

戸崎 :負けたりするとすごく苛立つと言いますか。イライラとかストレスとか、そういうのがありました。もうとにかく、負けると嫌で。自分のミスで負けたりした時は特にでしたね。

赤見 :そういう時は、どうなっちゃっていたんですか?

戸崎 :自分にはもちろん腹が立ちますし、終いには、勝った人にまで頭に来てるというぐらいの(苦笑)。

赤見 :あははは(笑)。

戸崎 :別に勝った人は勝って良かったわけで、悪いことは何もないんですけど、「なんで交わすんだ」という、そんな気持ちにまでなったりして。もう「どこに腹を立てているんだ」って感じですけど、思い返すとそういうこともありましたね。まあなんせ、負けるのが悔しかったんです。

赤見 :そこからどうやって変わって行ったんですか?

戸崎 :川島先生の言葉で「負けを恐れるな」と。「経験を積めば覚えて来るし、しっかり身について来るから」ということを言われたんです。内田さんが中央に行かれて僕にたくさん乗せてくださるようになった時に、最初に言われました。それは今でも覚えています。

赤見 :じゃあその頃からだんだんと?

戸崎 :そうですね。「失敗を恐れずにやって行こう」と思えるようになりました。

おじゃ馬します!

相棒・フリオーソの引退式

赤見 :やっぱり先生のお言葉は重みがありますね。川島厩舎の馬でたくさんの出会いがありましたが、年末に引退したフリオーソとの出会いというのも大きかったんじゃないですか?

戸崎 :大きかったですよね。僕に「騎手とはなんだ」というのを教えてくれた馬です。フリオーソがいなかったら今の戸崎圭太はいなかった、それくらいの馬だと思っていますし、本当に感謝しています。

赤見 :例えばどんなところが違うんですか?

戸崎 :ここはフリオーソに聞いてみないと分からないんですけど、僕はもう“人馬一体”って、そういうのを常に感じていました。会話も出来ていたような気がします。

赤見 :おぉ〜。どんな会話をされていたんですか?

戸崎 :レース中に「まだだよ」とか。レースで自分が慌てて動こうとした時に「まだだよ」って教えてくれたり、スタートがピカイチの馬だったので、ゲートの中で「邪魔するなよ」って言っているんじゃないかなということもありました(笑)。

赤見 :フリオーソはレースでいつも人気を背負っていたじゃないですか。それも、相手もすごい馬がそろうようなレースで。

戸崎 :そうですね。でも、不安は何もなかったです。緊張はしましたけど、馬がしっかりしているので、いつも自信を持ってレースに臨んでいました。フリオーソの背中にいた時は、すごく楽しかったですね。

赤見 :一番の思い出って何ですか? いっぱいあると思いますけど。

戸崎 :僕はもう、かしわ記念ですね(2011年、ラヴェリータやエスポワールシチーなどJRA勢を抑えての優勝)。それがすごく思い出にあります。フリオーソが勝てたことも良かったですし、僕自身もすごく感激しました。川島先生も喜んでくださったんじゃないかなと思いますね。地元船橋のGIで、しかも震災の後で。いろいろなことが重なっていたので、あの時の思いは今でも残っています。

赤見 :震災で初めて競馬が出来なくて、いつ開催できるのか…というような時期でしたもんね。

戸崎 :はい。そういう意味でも大きい勝利でした。(Part3へ続く)

◆次回予告
「今最も旬な男・戸崎圭太」は、ただいま取材殺到中。しかし、忙しい合間をぬって丁寧に取材に応じていらっしゃいます。その誠実な姿勢は学生時代から? 地方競馬教養センター時代の先輩後輩でもある戸崎騎手と赤見さん。当時の思い出話から、「トップジョッキー戸崎圭太」誕生のルーツ? が明らかに。公開は3/18(月)12時、お楽しみに。

◆戸崎圭太
1980年7月8日生まれ、栃木県出身。1998年に地方競馬教養センターを卒業し、公営・大井で騎手デビュー。2008年2009年、2010年2011年で全国リーディング獲得。2005年からは中央へも参戦し、2010年の武蔵野Sで重賞初勝利。2011年リアルインパクトで安田記念を制し、GI初勝利を飾る。2013年、3度目の挑戦でJRA騎手試験に合格。同年3月1日付けでJRA所属となった。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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