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ライバル激突

  • 2003年08月18日(月) 17時29分
 やや大袈裟な表現だが、8月17日の札幌競馬「クイーンS」は、まさに当代一線級の牝馬による力の勝負となり、伏兵(7番人気)のオースミハルカが逃げ切る結果となった。

 天候にも恵まれ、この日の札幌は入場人員27000人余。裏開催にもかかわらず、新潟より1万人も多くのファンがつめかけた。ファインモーションとテイエムオーシャンの一騎打ちという構図が、人気を集めた原因である。

 さて、今回は、この「一騎打ち」をキーワードに、一冊の本を紹介したい。タイトルは「シービスケット」(ローラ・ヒレンブランド著、奥田祐士・訳、ソニーマガジンズ)、副題に「あるアメリカ競走馬の生涯」とある。半月前に地元の新聞から書評を依頼され、さっそく読んでみたのだが、これが滅法面白い。

 このシービスケットというのは、1930年代にアメリカで2歳から7歳まで長く現役で走り、通算83戦33勝(2着15回、3着13回)という成績を残した「国民的アイドルホース」である。この馬と、周囲の人間たちを描いた長編ドキュメントだが、しばしこれが実話であることを忘れさせられるくらいのドラマティックな内容だ。

 馬主は自転車修理工から身を起こし、やがて西海岸で世界最大の自動車販売会社を経営するようになったチャールズ・ハワード。そして、調教師は、謎めいた経歴の寡黙な職人トム・スミス。主戦騎手は、事故で右目の視力を失った二流のレッド・ポラード。その他たくさんの人々がシービスケットという希代のアイドルホースといかに出会い、関わっていったのかが壮大なドラマとなって記されている。

 シービスケットという馬名は、「軍用の堅パン」を意味するらしい。「性悪で強情でイラついた馬」だったシービスケットは、背が低く、頭の大きな、どう見ても馬っぷりの良い外見ではなかったという。2歳1月にデビューし、何と16連敗。この年だけで、驚いたことに35戦もの出走を経験している。クレーミングレースに出続けたものの、買手がつかず、いわばまったく「駄馬」の中の一頭に過ぎなかった。

 そんなシービスケットが、前述のハワード、スミス、ポラードと出会うのは、3歳8月。1930年代のアメリカがどんな社会情勢にあったか、また、当時のアメリカ競馬が置かれていた背景などを理解しなければこの物語の醍醐味がよく分からないのだが、そのあたりの「基礎知識」を前半ではかなり具体的に詳述している。

 調教師スミスに見出され、ポラードが主戦騎手となってからのシービスケットは、生まれ変わったように好成績を収め始める。やがて、西海岸のチャンピオンとなり、ついに5歳の11月、東部(それは伝統と格式を誇る、あらゆる権威の象徴である)で敵なしだった、ウォーアドミラルとの「マッチレース」がついに実現するのである。折りしも、アメリカは、大恐慌の痛手から徐々に立ち直り、しかもラジオの普及によってマスメディアの時代が訪れていた。全米にこのマッチレースの実況放送が流され、ルーズベルト大統領もこれを聴くために顧問団を執務室の外に待たせたというエピソードも紹介している。

 とはいえ、この書のクライマックスは、ここから後である。ウォーアドミラルとの一騎打ちに勝利を収めたシービスケットは、靭帯を痛めて長期休養に入り、主戦騎手のポラードもまた、落馬事故でほとんど再起不能の重傷を負う。彼らのコンビが復活するのは、シービスケットが7歳になってのこと。人馬ともに奇跡的な回復を見せ、見事に念願の「サンタアニタ・ハンデ」に優勝。これでシービスケットは現役を退くことになった。

 500Pに及ぶ長編だが、手に汗握る展開と面白さに、一気に読み終えた。帯には「2004年度アカデミー賞、最有力映画原作」とある。すでにアメリカでは7月末より、同名の映画が公開中の由で、本邦公開が待たれる。まさに「アメリカンドリーム」そのもの。そして、強い馬同士の一騎打ちが、競馬の原点であることを教えられた。競馬ファン必読の書である。ぜひご一読を。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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