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英国の名伯楽、リチャード・ハノン調教師が今シーズンで勇退

  • 2013年11月27日(水) 12時00分


◆今期も自身の持つ英年間最多勝記録を更新

 イギリスのトップトレーナーで、今季も自身5度目となるリーディングを獲得したリチャード・ハノン調教師(68歳)が、今シーズン限りで現役を退くことが明らかになった。

 ハノン師に馬を預けている馬主各位に、文書でその旨の通達があったもので、文書を受け取った馬主にはエリザベス女王も含まれている。書面の中でハノン師は更に、2014年1月1日から、270頭の管理馬は子息であり現アシスタントのリチャード・ハノン・ジュニアの手に委ねられることも表明している。

 調教師ヘンリー・ハノンの子息として1945年5月30日に生まれたリチャード・ハノン師。若かりし頃は音楽に夢中で、後にヒット曲を連発することになる「ザトロッグス」が無名だった時代に、ドラマーとしてバンドに参加していたことがある。

 父の厩舎でアシスタントとして修業した時代を経て、1970年に父の厩舎を受け継ぐ形で開業。ちなみに当時の管理頭数はわずか12頭ばかりであった。開業4年目の1973年に、オッズ51倍の伏兵モンフィルズで英2000ギニーを制し、一躍その名が知れ渡ることになった。

 開業から15年余りの間は、厩舎の勝ち星の多くを2歳戦で挙げ、英国では珍しくない「2歳戦のスペシャリスト」として活躍。転機となったのが、ドントフォーゲットミーで自身2度目のG1英2000ギニー制覇を果した1987年で、同馬でG1愛2000ギニー制覇も果したこの年を境に、徐々に管理頭数が増加。同時に管理馬の質も向上し、4年後の1991年に初めて、厩舎の勝ち星が年間100の大台を突破。以後2013年まで、1997年を除く22シーズンにおいて年間100勝を達成するという、安定した成績を残すことになった。

 ミスターブルックスでG1ジュライCやG1アベイユドロンシャン賞、リリックファンタジーでG1ナンソープSを制した1992年、遂に自身初めてとなる英国リーディングのタイトルを獲得。以降、リチャード・ハノンは英国競馬の最前線で欠かせぬ存在となった。

 ことに輝かしいのが、ここ4年ほどの功績だ。

 2010年、キャンフォードクリスフがG1愛2000ギニー、G1セントジェームスパレスS、G1サセックスS、パコボーイがG1ロッキンジS、ディックターピンがG1ジャンプラ賞を制するなど、マイル戦線を中心に管理馬が大活躍。年間勝ち星は200の大台を上回る210に到達し、1992年以来18年振りにリーディングの座を奪還。同時に、長年の功績を讃えられてカルティエ賞特別功労賞を受賞している。

 以降、2011年が218勝、2012年も218勝、そして今年は年間232勝と、驚異的なペースで勝ち星を量産し、英国リーディングの座を守り続けている

 特に2013年は、スカイランターンでG1英1000ギニーを皮切りにG1・3勝、トロナードでG1サセックスS,オリンピックグローリーでG1クイーンエリザベスSを制するなど、2010年同様にマイル戦線を中心に産駒が大活躍。管理馬の収得賞金が550万ポンドを突破(英国以外における賞金も含む)するという、44年に及んだ調教師生活でも最高の1年を過ごしている。

 私生活でのハノン師は、ジョセフィン夫人との間に6人の子宝に恵まれた。このうち次女のファニーは現在、トップジョッキー、リチャード・ヒューズの妻となっている。また、1975年に夫人が産んだのは、男の子二人、女の子一人の三つ子で、このうちの一人が、来年から厩舎を引き継ぐリチャード・ジュニアである。ちなみに、ハノン師が引退を公にした11月21日は、リチャード・ジュニアにとって38回目の誕生日であった。

 オーストラリアを中心に諸外国で修行を積み、経験と知識を培ってきたのがリチャード・ジュニアである。これに加え、生来の人当たりの良さを誇るジュニアが、カタールの王族を含めて次々と新規馬主を開拓したことが、更なる大躍進を見せたここ数年のハノン厩舎を支える力となった。

 今後も、今度は自身がアシスタントとなって、リチャード・ジュニアが率いるハノン厩舎を盛りたてていくことになるが、調教師リチャード・ハノンとしては、12月8日に香港のシャティン競馬場で施行されるG1香港マイルにエントリーしているスカイランターンが、最後の出走馬になる模様だ。

 ハノン師が、調教師生活の大団円を香港で飾ることが出来るかどうか、その結果が益々注目されることになった。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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