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5時間の大手術を耐え抜いたメルシーエイタイム、幸せな余生を

  • 2013年12月30日(月) 16時30分
第二のストーリー


◆類稀なる障害センスを発揮

「こんなに長い付き合いになると、初めは思わなかった…」と北尾俊幸調教助手は、取材中、何度かつぶやいた。

 メルシーエイタイム、牡11歳。年が明ければ12歳となる。12月21日の中山大障害を最後にターフに別れを告げることが決まっており、余生を過ごす場所も用意されていた。無事にゴールしてほしい…そう願って送り出したレースだったが、1周目の5号障害で着地時に転倒して競走中止。鞍ずれを起こした状態のまま、カラ馬で走り出したエイタイムは、いくつかの障害を飛び越えていた。

 北尾も、すぐには状況がつかめなかった。とにかくコースを逆走しないで戻ってきてほしいと祈った。「馬が捕まりました」という声が、北尾の近くにいたJRA職員の無線に入った。ホッとしたのも束の間、「脱臼しています」という一言が聞こえてきた。その瞬間「もうダメだ」と北尾は観念した。競馬場の診療所に運ばれる馬運車の中で「最後に痛い思いをさせてごめんね」と、完走が叶わなかった愛馬に何度も謝っていた。

 入厩当初は別の厩務員が担当していた。デビュー前に一度放牧に出て、再度栗東に入厩してから北尾の担当となった。それから9年近い月日が流れた。

「良いも悪いも、いろいろと経験させてもらいました。たくさん落とされましたしね。暴れて落とされたのもありましたし、馬場入りする時に飛び込んでいくんですよね。それを人間が抑えようとすると、馬がもがいたり躓いたりして、前に投げ出される感じで落とされました。そういうのも含めて良い思い出ですね。ヤンチャでしたし、気持ちの強い馬でした。人に甘えるタイプでもなかったですね。それが最近、顔をふいてやると喜ぶようになったんですよ」

 年を重ねて丸くなったのか。自身の引退が近いと察して、北尾との時間を惜しむようになったのか。馬に聞いてみなければその真相はわからないが、1人と1頭の間で刻まれてきた時間の長さと、それに比例して深くなっていった強い絆のようなものを感じた。

 2005年、3歳の2月に新馬勝ちしたように、平地でもある程度やれる力は持っていた。しかし、500万条件で同じパターンのレースを繰り返し、勝ち負けに届かない成績が続いた。成績が伸び悩んだ3歳の夏、北尾とエイタイムは北海道に滞在していたが、一足先にエイタイムが栗東に戻ることとなった。

「函館の角馬場に横木があるのですが、たまたまそこに行ったらスイスイと通過したんです。それでバーをクロスさせた障害に向けてみたら、勝手に自分から飛んでいくんですよ。それにバネのある馬でしたから、これは障害に向くのではないかなと思って、栗東で障害の練習をしてみてほしいと頼みました」

 北尾の見立て通り、障害センスは抜群だった。3歳11月の障害デビュー戦で2着となり、2戦目であっさりと勝ち上がる。その後、障害オープンの3着を挟み、中山大障害に初挑戦して、キャリアが浅いながらもいきなり2着になった。

 それからは、中山大障害、中山グランドジャンプの常連となり、好走を重ね、5歳の6月には東京ハイジャンプで障害重賞初制覇を果たした。

 この年のエイタイムは充実していた。中山大障害前のひと叩きに出走した500万条件の平地レースでは、3着に突っ込み、色気を持ってレースをしていたら、勝っていたかもしれないと北尾が思うほどだった。その勢いは止まらず、キングジョイやマルカラスカルらの強豪を退けて中山大障害に見事優勝。2007年度の最優秀障害馬に選出されたのだった。

第二のストーリー

◆JRA獣医師が威信にかけて―

「経験上、障害馬はだいたい10戦ほど走ると、脚元に何らかの問題が出てきます」と北尾は言う。エイタイムも、右前の屈腱炎や両前の繋靭帯炎など、いくつかの問題を抱えるようになり、常に脚元の状態との闘いとなった。

「ギリギリの状態」と北尾自身もブログに綴っていたように、2013年秋も脚元との闘いだった。悔いが残らぬよう精一杯のケアをした。息を持たせるために、脚元に負担のかからないプール調教も併用しながら、無事栗東に一緒に帰りたいという気持ちでレースに送り出した。

 しかし無情にも、左第二趾関節脱臼を発症。普通に考えれば、予後不良という最悪の事態となるはずだった。しかし、中山大障害を勝ち、長きに渡って障害界を盛り上げたという功績と、故障の位置が通常と少し違っていたこと、ズレの程度も少なかったことなどから、助ける方向で治療してみるという提案が獣医からなされた。

 もちろん、北尾に異存はなかった。一晩、中山競馬場で様子を見て、翌日、美浦に輸送。12月23日に、美浦トレーニングセンター競走馬診療所で手術が行われた。

 数々の大障害を難なく飛び越えてきた同馬だが、手術室の入り口にあったアルミの枠をなかなか跨げなかった。しかし、そこを乗り越えたエイタイムは、約5時間にも及ぶ大手術を耐え抜き、麻酔から覚めた後は獣医が感心するほどグイグイ力強く歩いて馬房に向かったという。エイタイムの精神力と生命力の強さが感じられるエピソードだ。

 北尾には3人の子供がいる。離婚を経験し、現在は父子家庭だ。近所に越してきた両親が、出張の多い北尾の子育てを手伝っている。中山大障害が終わったら、休暇をもらって子供たちと過ごす予定だった。けれども、エイタイムの故障で事態は一変した。電話で「ごめんな」と子供たちに謝ると「僕らには、じいじやばあばがいるけど、メルシーにはお父さんしかいないんだから、そばにいてあげて」という言葉が返ってきた。子供たちの優しい気持ちに、思わず涙が出たという。

 ブログやツイッターにコメントを残してくれるファンの声援も力になった。脱臼という重傷を負ったエイタイムを助けようと、前例がほとんどない難しい手術に踏み切り、成功させ、手厚い治療を施してくれる診療所の獣医の尽力は、言わずもがなである。

 エイタイムの生命力の強さや頑張りに加えて、見える力、見えざる力が後押しし、エイタイムを快方へと導いている…そう思えてならない。

 職場の制約や家庭の事情等があり、北尾はエイタイムを美浦に残して、12月27日に栗東に戻った。胸中は複雑だったが、信頼おけるベテランヘルパー(厩務員経験者)が、エイタイムの世話を引き継いだため、安心して後を託すことができたようだ。

「休みの日には美浦にまた会いに来ようと考えていますし、退院する日が僕の都合と合えば、その時は美浦に来て一緒の馬運車に乗って移動したいですね」

 長い付き合いだったエイタイムは、北尾にとって家族同然の存在だったに違いない。そして、今の北尾の一番の願いは、苦楽をともにしてきた相棒が、1日も早く回復して、幸せな余生を過ごす日が訪れることではないだろうか。(取材:佐々木祥恵)


■メルシーエイタイムの北尾俊幸調教助手も情報発信中
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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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