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三度目の挑戦で難関突破!奥村武厩舎、3月始動

  • 2014年01月07日(火) 18時00分
職人




昨年12月5日に発表された、2014年度調教師免許試験合格者。難関を突破したのは、美浦2名、栗東4名の6名でした。その中から、三度目の挑戦で見事合格を果たした、国枝栄厩舎の奥村武調教助手にお話を伺いました。

◆キッカケは89年のジャパンC

赤見:調教師試験合格おめでとうございます。

奥村:ありがとうございます。やっぱり、一番はホッとしました。でも試験に合格してスタートラインに立っただけなので、ここからが勝負ですけど。

赤見:いつ頃から調教師になりたかったですか?

奥村:中学2年生くらいですね。キッカケはオグリキャップが2着だったジャパンカップ(1989年:勝ち馬ホーリックス)をテレビで見て、競馬って世界と戦えるスポーツなんだって思って。それで翌年のダービー(勝ち馬アイネスフウジン)の時に初めて競馬場に連れてってもらって、どんどんハマっていったんです。競馬が好きすぎて、どういう風に競馬と携わって行こうか考えた時、漠然とですけど調教師になりたいって思って。両親からは、『大学だけは行ってくれ』って言われていたので、大学を卒業してから北海道のディアレストクラブに就職したんです。

赤見:一般家庭からいきなり競馬の世界に入って、挫けそうにはならなかったですか?

奥村:そういう時もありましたよ。だってとにかく寒いし(苦笑)。でもちょうど、仲間がいたんです。同じ大卒で、全く馬に触ったことがなくてっていう境遇も似てて。その人と同じ家に住んでたし、一緒に生活しながら頑張れたっていうのはありますね。牧場では2年半くらい過ごして、競馬学校に合格してトレセンに入りました。

赤見:トレセンに入って、調教師試験はいつ頃から受けだしたんですか?

奥村:最初は高橋義博厩舎で厩務員として入って、10か月くらいで国枝栄厩舎に移って助手になりました。調教師試験は28歳から受けられるんですけど、その頃は国枝厩舎に入って2年目くらいで、馬の状態とか、どういう調教をしていったらどういう風になるのかとか、この馬にはどのくらいのポテンシャルがあるのかとか、全然わからなかったんです。だから、そういうのが自分の感覚で感じられるようになったら、試験を受けようと思いました。

国枝厩舎には佐藤勝美調教助手という素晴らしい先輩がいて、馬のことを本当によくわかってて、的確なんですよ。近くにいて、たくさん吸収させてもらいました。最初の頃は勝美さんの言うことがよくわからなかったんですけど、だんだんと自分も同じように感じられるようになって、7,8年くらいで同じような意見を持てるようになって。そろそろいいかなと思って、3年前から試験を受けるようになりました。

赤見:その時期は、マツリダゴッホが引退した頃ですか?

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07年有馬記念を制したマツリダゴッホ(撮影:下野雄規)



奥村:そうですね。ちょうどそれくらいの時期です。その頃、結果を肌で感じられるようになったなと思って。ゴッホが有馬記念を勝った時には、厩舎のみんなが感じるくらい本当にいい状態だったし、マイネルキッツが春の天皇賞を勝った時にも、人気は薄かったけど『勝つんじゃないか』って思えるような状態で。実際にGIを勝つ馬に携わってみて初めて、GIで勝てる馬というのはこういうものだってことがわかるわけじゃないですか。そういうお金では買えない経験をさせてもらって、自分でも育ててみたいなって改めて思ったんです。

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09年天皇賞・春を制したマイネルキッツ(左)



◆今後の夢は「今は内緒」

赤見:調教師試験を受けようと思ったら、まず何をするんですか?

奥村:やっぱり、試験勉強ですよ(苦笑)。一番大事なのは法規。馬学なんかは経験上わかっているし、ここまで積み上げて来たものがあるのでそんなに大変とは感じないですけど、法規は普段使いの言葉ではないし、第何条は何、第何条は何っていう、暗記するのがかなり時間掛かりますよね。最初の年は300時間くらい勉強して、2回目は400時間くらい、今回は250時間くらいしました。だいたい勉強し出すのはダービー終わったくらいの時期からで、1日の中で4時間くらいやりました。

赤見:合格発表は事務所に貼りだすんですよね?

奥村:そうなんですよ。でも一次試験は受けた人だけが見れるネット発表があるので、そっちで確認しました。二次の発表は木曜日で、厩舎の調教師の部屋で投票用紙を書いていました。10時発表なのはわかってたんですけど、『気にしない気にしない』と自分に言い聞かせながら。そしたら10時3分くらいに、知り合いの関係者から『おめでとう』ってメールが来て。それで合格したって知ったんです(笑)。その後、マイネルキッツが去勢の手術で診療所に入院していたのでお見舞いに行って、合格の報告がてらジャレて来て。そこからはもう大忙しですよ。13時から記者会見があるから急いでスーツに着替えて、なんだか慌ただしかったですね。

赤見:ちょうどキッツの引退と時期が重なったんですね。

奥村:本当にタイミングがいいと思います。たくさん出会って来た馬たちの中でも想い入れが強いし、色んなことを経験させてもらった馬でした。長い時間一緒にいましたからね。その馬が引退して厩舎を離れる時に、自分も試験に合格して厩舎を離れることになって。すごく気持ちの区切りが付けやすいですね。

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マイネルキッツ



赤見:試験に合格して、一番最初に報告した方は?

奥村:国枝先生は合格を知った時に一緒に居たので、すぐに『おめでとう』って言ってもらいました。国枝先生と出会わなかったら、自分は人としてダメだったかもしれません。調教師としてはもちろんですけど、人としての考えも変えてくれた人です。自分で電話をしたのは、ディアレストの高樽秀夫社長が最初です。本当にお世話になりましたから。

赤見:いよいよ3月開業ですね。

奥村:でもまだ色んなことが決まってないので。馬房数とかスタッフとかも、正式に決まってないんですよ。だから今は、お世話になった方々に挨拶回りをしています。今後の夢は…ありますけど、ちょっとデカ過ぎるので今は内緒で(笑)。開業して、結果を出してから語りたいと思います。もうすぐ開業なので、色んなことを考えているんですけど。『本質をとらえる知 他者を感じる力 先頭に立つ勇気』という言葉に感銘を受けたので、この言葉を常に心に置きながら進んで行きます!

常石勝義
1977年8月2日生まれ、大阪府出身。96年3月にJRAで騎手デビュー。「花の12期生」福永祐一、和田竜二らが同期。同月10日タニノレセプションで初勝利を挙げ、デビュー5か月で12勝をマーク。しかし同年8月の落馬事故で意識不明に。その後奇跡的な回復で復帰し、03年には中山GJでGI制覇(ビッグテースト)。 04年8月28日の豊国JS(小倉)で再び落馬。復帰を目指してリハビリを行っていたが、07年2月28日付で引退。現在は栗東トレセンを中心に取材活動を行っているほか、えふえむ草津(785MHz)の『常石勝義のお馬塾』(毎週金曜日17:30〜)に出演中。

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