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石橋守調教師(1)『未練はありません。でも、悔いはあります』

  • 2014年02月03日(月) 12時00分
おじゃ馬します!
2月のゲストは、開業目前の石橋守調教師。1985年に競馬学校の第1期生として騎手デビュー。初騎乗初勝利を飾り、その後も“いぶし銀”として、広くファンに愛された騎手時代。ライブリマウントやメイショウサムソンとのコンビでも沸かせました。28年もの騎手生活から、今度は「調教師」として第二の人生を歩みます。厩舎開業を間近に控えての今の本音や、調教師転身のエピソード、デビュー22年目にして掴んだ“悲願のダービー”を振り返ります。(聞き手:東奈緒美)


◆難関の試験に異例のスピード合格

:今日はよろしくお願いいたします。2013年の2月に騎手を引退されて、1年間技術調教師として河内厩舎に所属され、いよいよ『石橋守厩舎』が開業目前ですね。

石橋 :そうですね。あと1か月です(3月1日付で開業)。

:今の心境はいかがですか?

石橋 :まぁね、いよいよっていうか。でも正直、不安の方が多いね。その不安って何だろうって言われると、自分は騎手あがりで、今度は従業員をまとめなきゃならないわけで。分かりやすく言えば、普通の会社員から、いきなり社長になる感じですからね。

:経営者ですもんね。

石橋 :そう。だから、その辺だよね。その不安を開業してから徐々に、少しでも早く取り除いていければと思っています。オーナーとのお付き合いも増えるし、そういうことも不安と言えば不安だけど、諸先輩方皆さんやってこられていることだから、そこは頑張っていかないといけないなという気持ちですね。

:いつ頃から調教師を目指そうと思われたんですか?

石橋 :そこはいろいろな取材でもコメントをしてきたんですけど、やっぱり、ダービーを勝ってからそういう気持ちになったかな。あの時が、そういう考えを最初に持った時期であったかなと。ちょっと“燃え尽きた症候群”のような感じで。

やっぱり、競馬学校に入って、夢は“リーディングジョッキー”か“ダービー”という想いを持ったのでね。“リーディングジョッキー”っていうのは到底ね、勝ち鞍が及ばなかったから無理な話だったけど、もうひとつの“ダービー”は勝たせていただいたので。夢は叶ったなっていう。

:デビュー22年目でついに夢を叶えられて。

石橋 :うん。そこからが燃え尽きた症候群みたいな感じで、その後は成績も伸び悩んで。年齢的にもそろそろっていうのもあったし、どうせなら騎手を辞めてからも馬に携わる仕事がいいなと思って。そうすると、調教師がありますからね。そういう気持ちを、ダービーを勝ってからちょっと持ち出したかな。

:今度は次の目標っていうか。

石橋 :そうですね。「第二の人生」、うまい言葉を使えばそういう形かな。

:調教師試験はいつから受けられていたんですか?

石橋 :受け始めたのは3年前。

:じゃあ、2回目の受験で合格されたんですか。スピード合格ですね。

石橋 :うん、まぁまぁ、恵まれてね。自分なりにも一生懸命勉強をして。乗り役の時はペンを持つって言ったら、サインを書く時くらいしかなかったから(笑)。

:あははは(笑)。

おじゃ馬します!


石橋 :そういう意味ではね、まずは書くことに慣れないといけないし、勉強の要領を掴むのさえなかなかできなかったからね。

◆騎手として理想通りにはいかなかった

:平日は調教をつけて、週末はレースに出て、その間に勉強もされてっていう生活は忙しかったですか?

石橋 :まぁ事実、時間は結構あったんですわ。フリーだから、昼から厩舎に行く必要もなかったし。それに乗り役の時は、最後の方は数も乗っていなかったのでね。乗り鞍が少なくなっていたし、その分勉強に集中しようと思って。たしかね、夏の小倉も、1回も騎乗しなかったですね。

:そうなんですか。

石橋 :うん。さっきも言ったように数が減っていたので、中途半端に小倉まで行くんだったら、こっちでずっと勉強をしておこうっていう。まぁ、その時から河内さんのところで調教を手伝っていたので、勉強をするためにも調教には出ていました。でも、競馬にはもう乗らなかったです。「調教師になるんだ」という気持ちに切り替えていましたね。

:その時に相談されていた方とかいらっしゃいますか?

石橋 :そういうのはないですね。でも、周りも分かってたみたい。競馬に乗っていなかったし、調教師試験の勉強をしているっていうのは、自然と周りは分かってたみたいですね。

:合格されて、うれしいっていう気持ちもあったと思うんですけど、同時に28年続けてこられた騎手を辞めることが決まって、さみしさもありましたか?

石橋 :ん〜、辞める前の2年は、本当に競馬に乗っていなかったのでね。未練はないです。ただ、悔いはありますね。

:悔いはある。

石橋 :うん。それはなぜかと言うと、もっといっぱい勝ちたかったし、もっとGIも勝ちたかったし、もっと技術的にも上手くなりたかったし。そういう悔いはあります、正直言って。

やっぱりね、騎手になったからには、いっぱいGIを勝ちたいし、勝利数もほしいし、いっぱい乗りたいし、技術も腕も磨きたいっていうのでいたのでね。それが自分の理想のようには出来なかったので、悔いが残る。でも、何回も言うように未練はないです。(Part2へ続く)

おじゃ馬します!



■次回予告
現役生活は実に28年。「周りの人に恵まれた」とご自身もおっしゃるように、多くの人に愛された石橋騎手。デビュー22年目にメイショウサムソンで初めてGIを勝った時には、検量室で祝福の拍手が起こったというエピソードも。次回からは、現役生活を振り返るとともに、今だから話せるマル秘エピソードも公開します。


【石橋守】
1966年10月23日生まれ。厩務員である父のもと滋賀県で育ち、競馬学校第1期生として1985年に騎手デビュー。同期は柴田善臣、須貝尚介ら。初騎乗を初勝利で飾り、1992年にはミスタースペインで京阪杯・高松宮杯を制して重賞制覇。2006年、メイショウサムソンに騎乗し、皐月賞とダービーの二冠に輝く。2013年2月末で騎手を引退し、調教師に転身。JRA通算473勝、うち重賞15勝。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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