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石橋守調教師(2)『ドバイワールドカップに日本人として初出場!』

  • 2014年02月10日(月) 12時00分
おじゃ馬します!
競馬学校の第一期生で、現役生活は実に28年。「周りの人に恵まれた」と自身でも振り返るように、多くの人に愛された石橋騎手。デビュー22年目で初めてGIを勝った時には、検量室で祝福の拍手が起こったというエピソードも。今週は、現役生活を振り返るとともに、今だから話せるマル秘エピソードも公開します。(2/3公開Part1の続き、聞き手:東奈緒美)


◆幸せな騎手人生でした

:石橋さんは競馬学校の第一期生なんですよね。

石橋 :うん。1985年にデビューしたから、丸28年か。

:28年! 長い騎手生活のなかで、いろんなことがあったと思いますが、一番どんなことが思い出されますか?

石橋 :やっぱりね、人に恵まれたなって。境先生のところからデビューして、初騎乗初勝利もしたし、新人賞も獲らせていただいて。そういうところはバックアップも必要だし、感謝しますね。

ライブリマウントという馬に出会って、ずっと乗せてもらったし、その後もメイショウサムソンに乗せてもらったのでね。メイショウサムソンの瀬戸口先生や松本オーナーにもお世話になって、一言でいえば「人に恵まれて、馬にも恵まれた騎手人生」だったかなと。幸せだったね。だから、本当に感謝していますよ。それは、悔いとは別だけどね。感謝していますね。

:武豊さんとも仲がいいんですよね? 石橋さんの3歳年下。

石橋 :小学校の時から知っているからね。あいつがどう思ってるのかは知らんけど。ちゃんと“先輩”って思っているのか…。もしかしたら“友達”と思ってるんじゃない、あいつ(笑)。

:友達(笑)。前に石橋さんが、GIの日のテレビ中継でゲストで出ていらした時に、「(調教師になったら)豊くんを乗せます」っておっしゃっていましたよね。やっぱりそういうのは思っていらっしゃるんですね。

石橋 :テレビだからちょっとサービスしたわ(笑)。だってあいつ、競馬下手だもん(笑)。それは冗談だけど、長い付き合いをしているのでね、その延長線で調教師になってからも変わらずね、これからもずっとそういう仲になると思うよ。

◆ドバイ遠征での恐怖体験…

:いいご関係ですね。豊さんと言えば、海外競馬にもたくさん騎乗されていますが、ドバイワールドカップに騎乗したのは、石橋さんが日本人初だったんですよね。

石橋 :そうそう。ライブリマウントでね。1996年だから、30歳の時じゃないかな。
※第1回ドバイワールドカップに参戦し、結果は6着

:その当時はまだ、日本馬が海外競馬に行くなんて、そんなになかったですよね。今では、ドバイ遠征は主になっていますけど。

石橋 :レース数も増えたしね。僕らの時は、ワールドカップのひとつしかなかったからね。あの時ね、面白い話があって。馬と厩務員さんが先にドバイへ行ってて、こっちは一人で、レースの10日前にドバイに入ったのかな。その当時は直行便がなくて、関空からバンコク、そこからドバイで。

そこまではよかったんだけど、実は着いたその日に、バーレーンで競馬に乗る事になっていて。バーレーンも競馬をやっているからね。そこで5頭乗る予定だったんだけど、俺の手配ミスで、荷物がドバイで止まっちゃって、バーレーンまで着かなかったの。

おじゃ馬します!

:ええっ!? 競馬で使う荷物ですよね?

石橋 :そうそう。俺、英語話せないでしょ。向こうの警備員みたいな人って、機関銃を持っているのよ。それで動こうとしたら「ちょっと待っとけ!」みたいな感じで言われて。あれはちょっとビビったわ(苦笑)。

:あははは(笑)。でも、怖いですよね。何言っているかも分からないし。

石橋 :怖いよ〜。大きいの持ってるしさ。「とりあえずここで待っとけ」みたいな感じで、すごい人相で言うの。なんか俺悪いことした? って。そうしたら、ただの荷物のトラブルだったよ(笑)。

◆運命の馬との出会い

:メイショウサムソンのお話もお聞きしていきたいのですが、新馬からのコンビでしたよね。

石橋 :うん。その当時、瀬戸口先生のところに乗せてもらっていて、調教も手伝っていたので、そういう関係で「新馬で乗ってみろ」って言ってもらって。もともと瀬戸口先生のところは(福永)祐一が主戦だったんだけど、祐一が空いてなくて、豊に頼んだけど豊も乗り馬がいて、それで俺に回ってきて新馬戦から乗ったのかな。

:デビュー当時の印象はどうでしたか?

石橋 :新馬が入厩した時に、俗に「ゆるい」っていう言葉を使うんだわ。歩き方にまだ芯が入っていないっていうか。大型馬だったし、そういう印象を受けたね。

:じゃあ、特にこう「この馬は走るな」みたいな印象は?

石橋 :その時の印象は…、普通の馬っていうか(笑)。騎乗を頼まれて「乗りますよ」っていう感じだったし、そんなに印象はなかったかな。その時小倉競馬場で調教してたんだけど、ダートでの動きがあんまり良くなくて。それで、追い切りを本馬場に変えたのかな。時計はそんなに出なかったけど、動きは良かった。

:芝になって変わったんですね。

石橋 :そうそう。新聞社の人に「この新馬どうですか?」って聞かれて、「いや、これ、芝で変わるかもしれんぞ」って言った記憶はある。そうしたら、げんに初戦で2着に来たもんね。4番人気だったでしょう。だから、ダートより芝の方が良かったんだわ。

そこから使うたびに馬がしっかりしていって、変わっていったっていうかね、そういう印象を受けたんですね。勝ち上がったのが、3戦目かな。

:そうですね。小倉の未勝利戦で勝って、その後の阪神の野路菊Sを連勝で。

おじゃ馬します!

▲未勝利戦から連勝でオープン勝ちを決めた野路菊S


石橋 :それから京都の萩Sで4着、東スポ杯2歳Sが2着で、暮れの中京2歳Sで勝って。その中京、レコード勝ちだったからね。

:この辺からは「すごいな」「GIも狙えるかな」っていう印象に?

石橋 :いや、GIを狙えるっていうのはまだ(苦笑)。ただ、東スポ杯2歳Sで2着って、重賞だから賞金が加算されるじゃない。だから、賞金面でね「久しぶりにGIに乗れるな」って。その頃、あんまりGIに乗れていなかったから、「無事に行けば、このまま乗り替わりなく行ければ、来年は久しぶりにクラシック乗れるな」っていうのを思ったね。(Part3へ続く)


■次回予告
競馬学校生の頃から「ダービー制覇」を夢見続けてきた石橋騎手。その夢がついに現実として迫ったのは、デビューから実に22年目。40歳というベテランの域に入っていた時でした。最後のチャンスとして挑んだ大勝負。石橋騎手、人生最高の歓喜の瞬間を、改めて振り返ります。


【石橋守】
1966年10月23日生まれ。厩務員である父のもと滋賀県で育ち、競馬学校第1期生として1985年に騎手デビュー。同期は柴田善臣、須貝尚介ら。初騎乗を初勝利で飾り、1992年にはミスタースペインで京阪杯・高松宮杯を制して重賞制覇。2006年、メイショウサムソンに騎乗し、皐月賞とダービーの二冠に輝く。2013年2月末で騎手を引退し、調教師に転身。JRA通算473勝、うち重賞15勝。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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