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シービスケットの過ごした厩舎がアメリカ合衆国歴史登録財としての指定を受ける

  • 2014年02月12日(水) 12時00分


◆日本に置き換えればハイセイコーの入っていた厩舎が文化財に指定されたようなものであろうか

 アメリカから、競馬ファンとしては心がほっこりと温かくなる、日本の競馬ファンとしてはかなり羨ましいニュースが聞こえてきた。あの伝説の名馬シービスケットが種牡馬として過ごした厩舎が、アメリカ合衆国の歴史登録財としての指定を受けたのである。

 歴史登録財とは、アメリカにおける文化遺産を保護するための制度で、保全すべきと判断された地域、物品、建造物などが指定され、これを維持管理する者に対して補助金が支給されたり、税金面での優遇措置が施されたりするものだ。関係者によると、申請から15か月にわたる審査を経て、厩舎を歴史財として指定する旨の通知が当局より届いたとのことである。

 その生涯が映画化されたり、映画の原作となったノンフィクション小説がJRA馬事文化賞を受賞したりしているゆえ、1933年に生まれた名馬シービスケットの名は、日本の皆様にもお馴染みのことと思う。

 2歳から7歳まで走り、通算成績89戦33勝。同馬が初勝利を挙げるまでに18戦を要した事実は、なかなか勝ち上がれない馬がいると「あのシービスケットだって.......」と、常に引き合いに出されるほど有名なエピソードだ。2歳だけでなんと35戦、3歳時にも23戦するという、無茶苦茶な使われ方をした馬で、言葉は悪いが「潰れるまで走らせてしまえ」という不遇な環境に置かれていたのが若駒時代のシービスケットだった。実際に2歳時の競走歴を見ると、中1日で使われたことが1回、中2日で使われたことが7回もあるという、壮絶なローテーションを強いられている。

 3歳8月、ビュイックの西海岸における販売を独占したことで財をなした自動車販売業者チャールズ・スチュワート・ハワード氏に購買され、ロバート・トーマス・スミス厩舎に移ったことが、シービスケットの運命を変えることになった。また、これを機にシービスケットの手綱をとることになったのが隻眼の名手ジョン・ポラードで、シービスケットとポラードのコンビはその後、北米競馬史に残る名場面の主役となる。

 走ることに倦んでいたシービスケットの気性面を、かつては野生馬の馴致を生業としていたロバート・トーマス・スミスが立て直し、見違えるような快進撃をスタートさせたのが、3歳シーズンの終盤だった。そして迎えた4歳シーズンの成績、15戦12勝。シーズン初戦となったサンタアニタのハンデ戦では112ポンド(=約50.8キロ)で出走していた馬が、シーズン終盤に走ったピムリコのリグスHやバウィーHでは130ポンド(=約59.0キロ)を背負わされていたから、その出世振りはまさに日の出の勢いであった。サンタアニタのサンフアンカピストラーノHを7馬身差で制したのをはじめ、主要競走を勝ちまくったシービスケットは、全米最優秀ハンデイキャップ牡馬に選出されている。この年、シービスケットが走った全15戦で鞍上を任されていたのは、ジョン・ポラードだった。

 5歳の夏には、ピング・クロスビーの所有馬リガロティとデルマー競馬場でマッチレースを行ない、15ポンド重い斤量を背負ったシービスケットがリガロティを鼻差退けて優勝。この頃から、シービスケットの人気は全国区となった。同馬が走ると競馬場はマニアで埋まり、関連グッズが飛ぶような売れ行きを示すなど、アメリカ人好みのサクセスストーリーを紡いだシービスケットは国民のヒーローとなった。

 「世紀の対決」と言われたのが、5歳の秋にピムリコ競馬場で行なわれた、前年の3冠馬ウォーアドミラルとのマッチレースだ。全米中の注目を集めた中で行なわれた、互いに120ポンド(=約54.4キロ)という同斤を背負っての戦いは、シービスケットが4馬身差で快勝。まさに頂点を極めたシービスケットはこの年、全米年度代表馬のタイトルを手中にしている。

 だが、こうしたシービスケットの大活躍を失意の思いで見ていたのが、ジョン・ポラードだった。シービスケットの5歳シーズンが始まろうとしていた38年2月、調教中に落馬し複数個所を骨折する重傷を負ったポラードは、長期にわたる戦線離脱を余儀なくされ、この年シービスケットの鞍上にいたのは、当時の第一人者ジョージ・ウールフだったのである。

 1939年初頭に左前脚靭帯損傷という大けがを負ったシービスケットは、6歳シーズンのほとんどを棒に振ることになった。この時、シービスケットに付きっ切りで復帰の調整を手伝ったのが、自身も大怪我からの現役復帰を目指していたジョン・ポラードだった。

 シービスケットは7歳の春、ジョン・ポラードを背にカムバック。復帰後4戦目に、陣営にとって悲願だったサンタアニタH制覇を成し遂げ、シービスケットの現役生活は大団円を迎えることになった。

 その後、カリフォルニア州のリッジウッド・ランチで種牡馬入りしたシービスケットのために、馬主チャールズ・スチュワート・ハワードが新築した厩舎が、今回、歴史登録財としての指定を受けた建物である。当時のサラブレッド用の住まいとしては破格の豪華さを誇ったシービスケットの厩舎は、彼の存命中はファンの来訪が絶えなかったという。

 日本に置き換えれば、ハイセイコーの入っていた厩舎が文化財に指定されたようなものであろうか。

 競馬が文化として正しく認識され、その継承を国が制度をもって後押しする米国を羨ましく感じるのは、私ばかりではないと思う。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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