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【特別連載】複雑な競馬場跡地問題/あの時なにが起こったか〜競馬場の廃止と再生(4)

  • 2014年06月19日(木) 18時00分
2001年、中津競馬(大分県)からスタートした廃止ラッシュは、新潟・益田(島根県)・上山(山形県)・足利(栃木県)・高崎(群馬県)・宇都宮(栃木県)と続き、たった4年の間に7つ(主催競馬場のみ)の競馬場が消えていった。さらに、荒尾(熊本県)・福山(広島県)が廃止となり、結局平成に入ってから13もの競馬場が廃止に追い込まれたのだ(三条/新潟県・岩見沢・北見・旭川/3場とも北海道を含め)。長く苦しい時代を過ごし、たくさんの犠牲を払った現在、地方競馬は2年連続で総売得金が前年比を上回るなど、再生へ向けての光が差し込んでいる。13もの競馬場を失って、やっと見えて来た光。今、改めて廃止の現実を振り返り、再生へと繋げるための道を探したい。(取材・文・写真:赤見千尋)(第3回のつづき)

地方競馬の廃止と再生

▲廃止後、場外馬券場となった高崎競馬場


◆10年経っても解決できない問題

 高崎競馬廃止の記事で少し触れたけれど、群馬県による競馬場の廃止が決定する前に、高崎市が跡地利用の研究チームを発足させている。群馬県の玄関口である高崎駅から、徒歩10分という一等地を有効活用したいという考えだ。

 跡地利用の問題は、廃止を決定する上で大きなウエイトを占めている。廃止問題で揺れた2004年当時、J2入りを決めたザスパ草津の活躍により、サッカースタジアム建設を求める声もあった。便利な場所にあり、有効活用出来そうな立地ほど、競馬場廃止は地域にとって歓迎されるのだ。

 しかし現実は、そう簡単ではない。

 2004年12月31日に廃止された高崎競馬場は、現在も跡地問題で揺れている。これまでは、競馬場の施設をほとんどそのまま利用し、JRAの馬券が買えるWINSと、地方競馬の馬券が買えるBAOOに場所を提供して来た。そして、10年が経過した今年、やっと跡地問題が動き出し、コンベンションセンター建設に向けて工事が始まった。それに伴い、WINSは伊勢崎オートへ移転したけれど、BAOOは今後も馬券販売を継続していくという。コンベンションセンター建設に関しては、地元住民の激しい反対に合っており、群馬県に問い合わせたところ、「決定ではないけれど、建設の方向で動いている」ということだった。

 有効活用を希望し知事に早期廃止を訴えた高崎市も、地域活性を誓って廃止を決めた群馬県も、10年経った今でも跡地問題に悩まされているのが現実だ。

◆全国の廃止競馬場の今を追う

 全国の廃止競馬場を調べてみると、どこも跡地問題が難しいことが伺える。まず最初に廃止になった中津競馬場は、大貞総合運動公園の一角になっているが、廃止騒動で揉めに揉め、跡地問題もなかなか進展しなかった。中津市によると、現在使用されているのは、廃止から約7年後にオープンした体育館のみで、「今後野球場などの建設を予定しているが、完成時期は未定」という。

 2001年に廃止になった三条競馬場は

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