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カゼノコがゴール寸前で差し切りGI初制覇、ハッピースプリント無念の2着/ジャパンダートダービー・大井

  • 2014年07月10日(木) 18時00分


◆カゼノコもハッピースプリントも楽な競馬ではなかった

 今年、アメリカでも36年ぶりの三冠制覇が注目となったが、残念ながら達成には至らず。ハッピースプリントにも13年ぶりの南関東三冠の期待がかかり、単勝1.4倍と人気を集めた。しかしゴール前、カゼノコの強襲で、惜しくもハナ差で達成はならなかった。

 アメリカで四半世紀以上も三冠馬が出ていない理由のひとつとして、三冠目のベルモントSが、普段はほとんど行われていないダート12Fという特異な距離であることが挙げられる。対してジャパンダートダービー(JDD)は、二冠目の東京ダービーと舞台は同じ大井の2000m。しかし中央との交流になるため、レースの質がまったく違うものになる。過去10年の勝ちタイムだけを見ても、東京ダービーが2分5秒から7秒台の決着であるのに対して、JDDは2分2秒台から5秒台で、一度だけ2分6秒1があるのみ。ただハッピースプリントには、それだけの壁が乗り越えられると考えられても間違いではなかった。勝つまでに至らなかったのは、入れ替わり立ち替わり迫り来る中央勢とみずから対峙しなければならず、厳しいレースになったということではないか。

 ハッピースプリントは、3番手の外目を追走ということでは、羽田盃、東京ダービーと同じ。逃げたのが浦和のエスティドゥーラで、前半1000mの通過が62秒1というのも、東京ダービーとまったく同じだった。雨で湿った馬場(稍重)を考えれば、今回のほうが流れはむしろ楽だったかもしれない。ただ今回は外のマキャヴィティのダッシュがよく、最初のゴール板のあたりでは、マキャヴィティのほうが前に出て被されてしまうのではないという場面もあった。それでも1コーナーを回るところで3番手をキープするのだが、少なからず精神的なプレッシャーはあっただろう。

 もうひとつは、前にノースショアビーチがいたということ。逃げたエスティドゥーラは東京ダービーでも同じように逃げて沈んでいるので気にするところではないが、ノースショアビーチは、前々走の500万下、前走の青竜Sと逃げ切りで連勝している。ハッピースプリントはまずみずからこれを負かしにいかなければならなかった。レース後、吉原騎手も「楽に逃げさせるとこわいので、積極的に乗ろうと思ってあの形にはなった」と話していた。エスティドゥーラは早めに後退し、先頭に立ったノースショアビーチに、それでもハッピースプリントは4コーナー手前で手ごたえ十分のまま、半馬身ほどの差でぴたりと外につけた。

 直線半ば、残り200mのあたりまでノースショアビーチが粘っていたが、脚色と手ごたえでは、ハッピースプリントが抜け出して、勝ったかなと見えた。しかし直後、外から迫ってくる馬が2頭。ともに前2走のダート戦を直線一気で連勝してきたカゼノコとフィールザスマートだ。今回、ハッピースプリントの上がり3Fが37秒2に対して、カゼノコは3コーナー8番手から36秒5。これが最後のハナ差になった。

「ハッピーが伸びている以上に、外から伸びてこられた」と吉原騎手。先に記したとおり、前半1000mの通過が東京ダービーとまったく同じだったことを頭に入れた上で、後半1000mのラップを比べてみると、

 東ダ:13.3-13.3-13.0-11.9-12.3
 JDD :12.4-12.2-12.8-11.9-12.5

 なんとレースの上がり3Fの合計も37秒2で同じタイム。1000〜1200〜1400mのところが約1秒ずつ速くなっている。稍重で時計が出やすい馬場であったとしても、ハッピースプリントはここで息を入れることができず、しかも前のノースショアビーチをつかまえにいかなければならなかったというところで脚を使わされた。吉原騎手は「スローな流れでも2カ所ほどで脚を使わされるところがあった」と話していた。おそらく、スタート後にマキャヴィティに前に行かれた場面と、ノースショアビーチをとらえに行く場面だったのではないか。ハッピースプリントにとっては、東京ダービーが最後は流すような感じで上がり37秒0だったのに対して、今回は目いっぱいに追われての37秒2。たしかに伸びてはいるが、厳しい競馬だった。

 一方、勝ったカゼノコも楽な競馬だったわけではない。スタート後、内から2頭に、外から3頭ほどに、玉突き状態で寄られたことで控えざるをえず、結果最後方まで下がってしまった。末脚勝負といっても、さすがに最後方からになるとは陣営も予想していなかったようだ。それでも向正面から徐々に位置取りを上げ、大井の長い直線で自慢の末脚を思う存分発揮した。

 ハッピースプリントが、中央も含めたこの世代のダートでは頂点を争う存在であることは間違いないが、中央勢は抜けた存在がいなかったとはいえ、確実にダート路線の層は厚くなっている。中央6頭のうちマキャヴィティ以外の5頭はいずれもダート3勝馬。近年、中央では2、3歳のダート路線が充実してきていて、カゼノコが前走で勝った鳳雛Sは、今年新設された3歳のダートオープン戦。ユニコーンSでは多数除外馬があり、同日の古馬1000万条件のダート1600mに回って勝ったのがフィールザスマートで、3、4着馬もユニコーンS除外組の3歳馬だった。「ハッピーの競馬はしたと思いますが、高いレベルでの競馬だったんじゃないかと思います」という吉原騎手のコメントは、そういうことだろう。

 それにしてもカゼノコの、父アグネスデジタル、母タフネススター、母の父ラグビーボールとう血統では、古い競馬ファンならそれぞれいろいろな物語を思い浮かべるのではないか。

 ぼくがまず思い浮かべたのは、アグネスデジタルもラグビーボールも、1番人気に支持された“ダービー”で負けていたということ。そんな血統の馬が、今回、圧倒的な1番人気馬を負かすことになった。

 アグネスデジタルは、当時6月に行われていた交流GIIIの名古屋優駿を圧勝して、1番人気で臨んだ2000年のジャパンダートダービーでは14着。そういう意味では、カゼノコは父の雪辱を果たしたといえる。ラグビーボールは、当時日本ダービーの前哨戦として行われていたNHK杯までデビューから3連勝。1986年の日本ダービーではデビュー以来初めて1番人気に支持されたものの4着だった。

 母のタフネススターもカゼノコと同じように追い込み馬で、レース後に野中調教師もそのことを話していた。たとえば初重賞制覇となったカブトヤマ記念(新潟芝1800m)では4コーナー最後方からの直線一気。その母の活躍が芝でのものだっただけに、ダートで未勝利戦を勝った後、あらためて芝の毎日杯を使ってみたものの、やっぱり結果が出なかった。そのためダートでということになったようだ。同じ追い込みでも、父が芝・ダート兼用のアグネスデジタルでダートに出たというのもおもしろい。

 馬主のヌデ嶋孝司さん(ヌデは、「木」へんに「勝」)は、母の母ユキノサクラから、タフネススター、そしてカゼノコと3代に渡って所有していているだけに、何か思いれのある血統なのだろう。たださすがにレース翌日の原稿なので、そこまでの取材はできず。そもそも気づいたのはこの原稿を書きながらだったのだが。

 カゼノコの血統で語りたい方は、ぜひユーザー投稿コラムにどうぞ。

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1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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