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上富良野の牧場で余生を過ごし、静かに天に召されたスズカコバン

  • 2014年07月22日(火) 18時00分
第二のストーリー


◆父譲りの美形、トウカイパルサー

 ラベンダー畑は紫に染まり、色とりどりの花が咲き乱れている。白い雲と青い空。北の大地に輝きが増す7月半ば、2002年の愛知杯(GIII)の勝ち馬・トウカイパルサーに会うために、旭川市からから車で40分ほどの上富良野町を訪れた。

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▲花々が咲き乱れる7月の北海道(撮影:江口美和)


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▲ラベンダーも今が美しい盛り(撮影:江口美和)


 上富良野町の深山峠にあるトリックアート美術館の駐車場から、トウカイパルサーを繋養しているコバン牧場.eの江見洋一さんに電話を入れる。

「かんのファームまで来てください。ご案内しますから」その言葉にうながされ、旭川方面に少し戻る。国道237号線沿いの右手にお花畑が見えた。入口近くにポニーや羊、犬たちの姿が見える。車から降りて近寄って行くと「コバン牧場.e」という看板が立ち、引き馬や馬や羊への餌やりのメニューが書かれてあった。

「取材に来ました佐々木です」と挨拶をすると「どうもどうも」と、江見さんご夫妻が笑顔で迎えてくださった。ポニー3頭、羊3匹、犬3匹が繋がれていて、動物たちとふれあえるミニ牧場となっているようだ。

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▲たくさんの動物と触れ合える「コバン牧場.e」


「パルサーの所まで案内しますよ」と、江見洋一さんが軽トラックに乗り込む。その後ろを車で続いた。かんのファームを出てわりとすぐの反対車線側の道に入る。「ジェットコースターの路」という看板が目に入った。さすがに遊園地にあるジェットコースターほどではないが、急な下り坂に急な上り坂とアップダウンが続く道をしばらく走って左に折れ、さらに左側の敷地に入ると、その奥に舗装されていない坂道があった。大雪が降ったら除雪が大変そうなだなと思いながら、江見さんの後に続いて上っていくと建物が現れ、そこで軽トラックは止まった。

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▲北海道の名所「ジェットコースターの路」


「元々、肉牛を飼っていた牧場が空いていたので、借りているんです」(江見洋一さん)。トウカイパルサーは、以前牛舎として使われていた建物の中にいた。訪問者に気づいてそばにやって来る。似てる! 流星の形といい、品のある顔付きといい、サラッと流れた前髪といい、父トウカイテイオーにそっくりだ。現役時代に間近でパルサーを見たことがなかったので、こんなに父と似ているとは知らなかった。

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▲父トウカイテイオーの面影が見えるトウカイパルサー(撮影:江口美和)


「テイオーに似ていると、会いに来た人、みんな言いますねえ」(江見さん)

 ポニーや羊がここにもいた。かんのファームで見たポニーや羊たち合わせると、この牧場にはかなりの数の動物たちがいることになる。この牧場を始めたきっかけをふと知りたくなって、いろいろと質問をしてみた。江見さんの出身地は苫小牧市で、奥様が大阪出身。調理師免許を取って大阪で調理師として働いていた時期もあったが、奥様とはその時に出会ったわけではないそうだ。

「調理師の仕事が合わなくて北海道に帰ってきたら、牧場に勤めている親戚に馬やったらどうかと言われて、競走馬の世界に足を踏み入れました」。競馬に興味があったわけではない。馬と接したのも初めてだった。浦河の牧場を皮切りに、いくつかの牧場を渡り歩く。渡り歩いた牧場の1つに奥様も働いていて、そこで2人は出会った。

「最後に働いていたのがトーヨー牧場でした」。以前、このコーナーで取材したトーヨーレインボーにも騎乗していたという(→記事はこちら)。「休養に来た時に乗っていましたよ。キレたりしなければ、大人しい馬でしたね」(江見さん)。レインボーが人間の背中に何度も顔をすりつけるという取材時のエピソードを話すと「そうそう、昔からそうだったよ」と嬉しそうだった。

◆1985年の宝塚記念を制したスズカコバン

 そんな江見さんがなぜ上富良野に? 私の中で謎は深まるばかりだが「流れ流れてここに来ました」と江見さんは笑っている。コバン牧場.eという名称の由来にも興味があった。

「スズカコバンが種牡馬を引退して、コバンどうなるのかと友人に聞いたら、廃用だという話で。その友人にGIも勝っているし可哀想だから引き取らないかと言われて、その当時働いていた観光牧場に相談しても良い返事をもらえなかったんですよね」
江見さんは既に日高を離れ、上富良野町に近い富良野市で暮らしていた。

「当時住んでいた家の横に納屋があって、そこにたまたま農耕馬を飼っていた馬小屋があったから、そこを借りてコバンを飼おうということになったんです。これがウチの始まりなんですよ」(江見さん)

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▲在りし日のスズカコバン(提供:コバン牧場.e)


 スズカコバン。父マルゼンスキー、母サリュウコバン、母の父がネヴァービート。栗東の小林稔厩舎から1982年11月に中京競馬場でデビューする。4歳時(旧馬齢表記)には、日本ダービーに出走し、10着。この時の勝ち馬はミスターシービーだった。初重賞制覇は神戸新聞杯で、のちに日本馬初のジャパンC優勝馬となったカツラギエースに土をつけている。5歳(旧馬齢表記)時はほとんどのレースで上位に食い込み善戦を続け、その年の10月に京都大賞典(GII)で神戸新聞杯以来、1年振りに勝利を収めた。

 ミスターシービー、カツラギエースと同世代で、一世代後に皇帝・シンボリルドルフが登場し、役者がそろっていた時代でもあった。その陰でなかなか大きな勲章を手にできないでいたスズカコバンに、勝利の女神がほほ笑んだのが1985年の宝塚記念(GI)。シンボリルドルフが脚部不安で出走を取り消し、ミスターシービーを大阪杯で破ったステートジャガーが1番人気に推されていたが、道中後方で脚をためたスズカコバンが末脚を伸ばして、サクラガイセンをクビ差退け、嬉しいGI初制覇となったのだった。

 脚部不安に悩まされ、歯がゆいレースが多いという印象のあるスズカコバンだが、ミスターシービーやシンボリルドルフ、カツラギエースらと一時代を築いた名馬と言っても過言ではないだろう。

 現役を引退後、スズカコバンは種牡馬となった。中央での重賞勝ち馬は、ブリーダーズゴールドC(GII)をはじめ重賞4勝のデュークグランプリだけだが、道営記念2回ほか重賞8勝のササノコバン、重賞4勝のクラキングオーなど、地方競馬に活躍馬を多く輩出。クラキングオーは、道営で牝馬初の三冠馬となったクラキンコの父となり、スズカコバンの血は今もなお受け継がれている。

◆「コバン牧場.e」という牧場名の謎

 こうして種牡馬としても活躍したスズカコバンだが、2000年に用途変更となる。それと同時に行き場を失ったスズカコバンを、江見さんは引き取った。競走馬時代にGIに勝利し、種牡馬として成績を残しても、サラブレッドは気付かぬうちに姿を消していく。スズカコバンも、その可能性があった。サラブレッドが命を繋いでいくことの難しさを改めて思い知らされ、自然あふれるのどかな場所にいるのも忘れて、少しの間、暗澹たる気分になっていた。

 命拾いしたコバンは去勢されて、江見さんの元にやって来た。「来た時はこの馬扱えるかなと思うくらいうるさかったけど、1週間もしたら違う馬みたいに大人しくなりました。ポニーを飼ったのも、コバンが年を取ってきてボケてきたから活性化させようかというのがきっかけだったんですよね」(江見さん)

 ボーッとしていたコバンは、仲間ができてシャキッとした。のどかな環境の中で、ポニーと一緒に至って健康に過ごしていたコバンにも、やがて命の尽きる時が来た。

「朝行ったら、倒れていたんですよね。倒れているのに餌をくれと鳴いていました(笑)。亡くなる前の日でもそうでしたし、餌をあげたら食べてましたしね。獣医に聞いたら老衰だろうと。心不全だったと思います。ちょうどトウカイパルサーをウチに引き取って2、3か月後だったのですが、俺の馬生全うしたという感じでしたね」(江見さん)

 江見さんのもとに2000年にやって来た約5年後の2005年11月21日、スズカコバンは静かに息を引き取った。23歳だった。コバンは若いパルサーにバトンを渡し、安心して天に昇っていったのかもしれないなと、江見さんの話に耳を傾けながら想像した。

「コバンが亡くなった次の年くらいだったかな。動物たちも増えてきてこういう仕事(ふれあい牧場)を始める時に、コバンの名前を使おうかと嫁と相談して、それでコバン牧場に江見のイニシャルを取って、コバン牧場.eにしたんです」、牧場名の謎も解けた。(つづく)

(取材・文:佐々木祥恵)


※トウカイパルサーは見学可です。

コバン牧場.e
〒071-0509 北海道空知郡上富良野町西9線北29号
電話:090-6876-7666
展示時間:9時00分〜17時00分
直接訪問可:申込不要

引退名馬 トウカイパルサーの頁
https://www.meiba.jp/horses/view/1996106096

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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