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【特別企画】田辺裕信騎手の『私の恩人』(2)―ローカルでともに戦った中舘騎手の存在

  • 2014年07月23日(水) 17時59分

◆「中央場所へ行け」あの一言がなかったら…

 デビュー当初から、ほかの厩舎を手伝うことを厭わなかったという小西のおかげで、デビュー2年目に早くも他厩舎との太いパイプが生まれる。小西厩舎の隣に厩舎を構える久保田貴士厩舎だ。田辺の通算成績で、騎乗数、勝利数とも、自厩舎の小西厩舎に次ぐ2位。2003年の開業当初から、調教でもレースでも田辺を重用してきた。しばらくは蛯名との二枚看板だったが、いまや田辺が完全に主戦である。

 久保田厩舎は、開業のときから手伝わせてもらっています。自分から売り込んだとか、なにか特別なきっかけがあったわけではないんですけど…。馬乗りがすごく巧い先生なので(久保田師は明治大学在学中に、全日本学生馬術選手権大会3連覇)、それまで知らなかった調教法とか、本当にいろいろと教えてもらいました。早くから独特の調教を採り入れて、それを周りの厩舎が真似をしだしたりして。馬作りについては、本当に刺激を受けましたね。小西先生と久保田先生は、僕というジョッキーを支えてくれている二本の柱という感じです。

私の恩人2

▲小西調教師と久保田調教師は、田辺騎手を支える二本柱


「とくに大きなきっかけはない」と振り返る田辺だが、デビュー8年目の2009年、騎乗数は前年の332鞍から552鞍へ、勝利数も前年の13勝から33勝への大きくジャンプアップ。田辺の騎手人生がにわかに動き始めた。そして翌年の2010年。6月の福島開催で、初めて関西の名門・松田博資厩舎の管理馬に騎乗。安達太良Sのアドマイヤマジンがそれだ。

 休み明けもあって6番人気の伏兵だったが、中団追走からまったくロスのないコース取りで、同馬を勝利に導いた。この一戦をきっかけに、ローカルを中心に続々と松田博厩舎からの騎乗依頼が舞い込み、この年だけで17戦6勝という好成績を残す。関西のトラックマンの間でも、田辺の名前が頻繁に飛び交うようになった。

 アドマイヤマジンは、たしか誰かが乗れなくなったとかで、たまたま回ってきた馬だったんです。2010年は結局、松田厩舎で17戦6勝ですか? すごいですね(笑)。確かに「全部走るなぁ」と思いましたもんね。僕は当時、関東圏でばかり乗っていたし、松田先生もあまりこちらにはいらっしゃらなかったので、途中までお顔もよく知らなかったくらいなんですよ。やっぱり、松田厩舎の馬に乗っているというだけで目立つし、またそこでいい成績を残せたことで、関西厩舎はもちろん、乗せてくれる厩舎が増えたように思います。

 2010年にはもうひとつ、大きな変化があった。デビュー以来、

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