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【特別企画】酒井学騎手の『私の恩人』(3)―必要な遠回りだった、今は本当にそう思える

  • 2014年08月06日(水) 17時58分

◆2010年、ニホンピロアワーズとの出会い


 調教を通して前を向き始めた酒井だったが、状況はそう簡単に好転することはなかった。そして2006年。あと2週で1年の競馬が終わるとなった時点で、酒井はついに0勝。初めての“年間0勝”が目の前に迫るなか、その後の騎手人生を変える“大きな1勝”を手にすることに。

 今年はついに勝てないのか…と思っていたところで、ポンと勝利をプレゼントしてくれたのが、服部厩舎のニホンピロコナユキでした。2歳の未勝利戦だったんですけど、重賞を勝ったのかというくらい、みんなが「学、良かったなぁ〜」って声をかけてくれたんですが、それくらい“勝てないジョッキー”という見方をされていたんだなと思いましたね。

 当時、コンスタントに調教や競馬に乗せてくれたのは、西園厩舎と服部厩舎しかありませんでした。そもそも服部厩舎を手伝うようになったのは、「乗せられる馬にはなるべく乗せるようにするから、とりあえず我慢して、調教だけでもいいから乗っておけ」と、声を掛けてくださった助手さんがきっかけ。それから少しずつ服部厩舎での乗り鞍が増えて、ニホンピロコナユキにつながったんです。

 のちに酒井をGIジョッキーに導く、小林百太郎が率いる“ニホンピロ”。コナユキ以前にも、メイシ―、ブリュレ、アイシャ、ルージュなど4鞍ほど騎乗機会はあったが、2006年と同様、コナユキが初勝利であった。

 大山さんというニホンピロの現場担当の方と顔を合わせるようになって、その方がすごくかわいがってくださるようになったんです。おそらく、コナユキで勝つまでは僕のことを知らなかったんじゃないかと思うんですが、いつからか、「一生懸命に乗る子だな」と思って、見てくださっていたようで。ニホンピロの馬のローテーションについて僕に意見を求めてきてくれたり、いろいろとお話をするようになったんです。

 そして2007年、ニホンピロレガーロと出会う。酒井に手綱が回ってきたのは、9戦目の500万条件。以降、引退まで21戦をともに戦い、2010年の小倉記念を含めて全5勝を挙げた。2007年からは、酒井の状況も好転。騎乗数は前年の83鞍から138鞍に増え、勝ち星も8勝まで戻した。2008年は11勝、2009年は12勝。勝ち星を2ケタに乗せ、騎乗数も250鞍まで回復。

 そんな上り調子のなかで出会ったのが、ニホンピロアワーズだ。2010年8月1日・小倉9R・響灘特別。初騎乗は、前走まで手綱を取っていた幸の代打であった。

 響灘特別前の調教で乗ったのが、アワーズとのファーストコンタクトでしたね。その段階で、「この馬はちょっと普通の馬じゃないな」と感じました。あくまで幸先輩の代打だったので一度きりだと思っていましたが、ニホンピロさんの馬でもあるし、きっちり結果を出さなくてはという思いがありました。で、実際、強い競馬で勝ってくれて。レース後、大橋先生と話していたら、そこに小林オーナーがいらして、「次もしっかり乗れよ」とおっしゃったんです。「えっ?」と思ったのですが、本当に次走も自分になっていて。「いいんだろうか…」というのが、素直な気持ちでしたね。

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