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【特別企画】酒井学騎手の『私の恩人』(2)―30歳を超えてから大成したジョッキーもいる

  • 2014年08月06日(水) 17時59分

◆2000円の違約金が払えなかった


 GIジョッキーとなり、重賞もコンスタントに勝つようになった今となっては信じられない話だが、騎乗数、勝利数とも減っていくなかで、酒井は経済的にもじわじわと追い詰められていった。それでも、ジョッキーという仕事をあきらめられなかった日々。だからこそ今があるわけだが、我々が想像する以上に酒井の生活は逼迫していた。

 毎日、トレセンから帰る車のなかで、「この先、どうやって生きていこう」って考えてました。3年間くらいは、この1週間をどう乗り切ろうかっていうくらいカツカツでしたね。一度、安いマンションに引っ越しをしようと思って、不動産屋に行ったことがあるんです。で、実際に部屋も決めて。正式な契約日までに数日あったんですが、その間に「いや、アカン」と思い直して。部屋のランクを落とすのが嫌だったわけではなく、ランクを落として経済的に楽になったぶん、気持ちも楽になるかといえば、逆だと思ったから。

 もうちょっと辛抱してみようと思って、後日「やっぱり契約しません」と不動産屋に言いに行ったんです。そうしたら、たぶん2000円くらいだったと思うんですが、違約金が発生してしまって。信じられないことに、そのとき2000円すら持ってなかったんですよ。「今日は現金を持ち合わせていないので、後日改めてきます」と言って、不動産屋を出て。情けなかったですけど、それが当時の自分の現実でした。でもね、そんなときに、何でも話せる親友がいたんです。

 親友とは、同じジョッキー仲間である高田潤。競馬学校の期は酒井がひとつ上だが、早生まれということもあり、同じ1980年生まれ。窮地に陥ったとき、こういう存在がいるかいないかで、きっと人生は変わる。

 当時は毎日のように潤と一緒にいました。潤に対してだけは、プライドも全部捨てて向き合えたんです。僕が競馬に乗っていないことはもちろん知っているから、当然、金がないことも知っていました。正直、潤には金を借りたこともあります。でも、潤は決して「何に使うの?」とは聞かなかった。そういうヤツなんですよね。潤の存在は大きかったし、今考えても、すごく救われましたね。

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